四月は残酷な月


  APRIL is the cruellest month, breeding
  Lilacs out of the dead land, mixing
  Memory and desire, stirring
  Dull roots with spring rain.

 昔ある詩人を偲ぶ会でたまたま隣の席に坐られた詩人の唐川富夫氏に、「こうちは〜」と話かけたところ、「あれちです」とすぐに正された。無知の恥ずかしさを思い知らされたことばとして、記憶に沈殿している。現代詩にかかわる人にとって許しがたい間違いであったのだろう。
「Traduttore, traditore(翻訳者は裏切り者)」というイタリア語のアフォリズムがあるそうだが、戸口民也長崎外国語大学教授が『「裏切り」の度合も、詩の翻訳のときが最もひどくなる』と述べる通りと確信していて、外国の翻訳詩はほとんど読んでいない。
  http://www.nagasaki-gaigo.ac.jp/toguchi/works/tog_essai/traducteur.htm (戸口民也教授エッセイ)
 T.S.エリオットの『The Waste Land』は、じつは「アーサー王伝説のパロディ」で、Waste Landは、「荒地」という感傷的な訳語よりも、「荒廃国」の語がふさわしいらしい。また戦後の現代詩人らが目にしたのは、「Burial of the Dead」のみで、エリオットの詩の世界を、戦後日本の荒廃にかってにダブらせた「誤読」との指摘がある。
  http://d.hatena.ne.jp/palaceatene/20101026/1288073497(山下晴代の「積ん読亭日常」)
 原テクストからの新しい翻訳の試みもなされているようである。
  http://kidoshuri.seesaa.net/article/142722690.html (城戸朱里のブログ)
 これらのことについては、現代詩に貧しいこちらにはわかりかねるが、東北大震災以後、新「荒地派」とでも呼ぶべき詩歌の台頭があるのだろうか。わが家の庭のライラックは、まだ花を咲かせていない。
⦅写真(解像度20%)は、東京台東区竹町公園で開花した桜の花。小川匡夫氏(全日写連)撮影。⦆