感情について

 大いなる悲哀の感情は、やむ時が来るのだろうか。被災地でのこの感情は推し量れないほどであろうが、今後にむけた日本全体の、あらゆる面での復興と蘇生については、感情論のみで対処してはならないこともまた道理であろう。
 ちょうど8年前の4/6(日)のわがHPに、感情に関して短文の記載がある。再録し、あらためて考えてみたい。
◆「思想」(岩波書店)03年4月号掲載の論文、中畑正志氏の「〈感情〉の理論、理論としての〈感情〉」は面白い。我々は「怒りや悲しみ、喜び」などの感情について自明な心のはたらきと思いがちであるが、そうかんたんではないらしい。近代以降の感情論が現代哲学では反省・批判されているようである。西洋哲学史を遡れば、ストア学派以降、それぞれのはたらきをまとめた概念としての感情理解が生まれたのであって、プラトンにおいては、emothionに相当するパトスとは、「快・苦の混合」であり、魂の非理知的部分はその悲しみなどのパトスに引きずられ追随するとされる。
プラトンが非理知的部分の特質として着目しているのは、深い悲しみの経験が当の感情をさらに渇望させ増長させるという心理的カニズムである。非理知的部分のはたらきは、このように、動的で自己増殖的な構造をもっている。』(2003年4/6記)
⦅写真(解像度20%)は、東京台東区下町の上:春もみじ、下:八重椿。小川匡夫氏(全日写連)撮影。⦆