齋藤茂吉没後65年

 歌人の齋藤茂吉(1882年5/14〜1953年2/25)没後65年の命日である。かつてHPおよびブログ記載の記事(一部省略)を再録したい。

吉本隆明氏の『日本語のゆくえ』(光文社)は、東京工業大学での連続講義をまとめたもので、言語論・表現論を中心に展開、神話と歌謡および表現の芸術性を媒介に共同幻想論とも交錯して論じている。このあたりの議論については、昔池袋の豊島振興会館での広松渉氏などとの、数日間の連続講義の場で聴いたことがある。しかし思索は深化していて、表現における芸術性に関して明快に述べている。 

 文学(芸術言語)における芸術的価値は、「自己表出」にあり、物語性は「指示表出」として間接的に芸術的価値に関与する、というのが吉本氏の 基本的考えである。首肯できる。

……指示表出」というのは主として感覚からやってくる表現です。たとえば花を見ていたら「花」という言葉になるような表現。耳や目など、主たる感覚からやってくる表現を指示表出と呼んでいます。長篇小説であれば、山あり谷ありといった物語性の起伏としてあらわれる。そういう面は文学の芸術的価値に対しては間接的な意味合いで影響を与えるだろうと考えられます。

 それに対して、直接的あるいは純粋に芸術の価値の根幹をなしているのは自己表出である。これはコミュニケーションではなく内的発語というべきで、それが芸術的価値をつくっている。

 このあたりは芸術一般にいえることだろうと思います。……

 小説の例で論を展開する。夏目漱石の『三四郎』は明治以降の第一級の小説であるが、世界レベルでは「いい青春小説」の評価でとまってしまう。それは、言語表現が作品のモチーフと分離しているからであり、それらを一致させるためには、「理論的にいえば無限遠点からの視線」すなわち「世界視線」が必要なのではあるまいかと、している。創作にあたって今後考慮してみたいところである。現在における文学を取り巻く環境についても触れ、「あくまでも文学的な表現として高い凝縮度をめざしている作家を1、2パーセントとすれば、7、8割の読者をもっているのは、昔ふうの言葉でいえば大衆的あるいは中間的な作家だということになります。そっちのほうが主流になっていて、現代は話体が重んじられている時代だ」といえ、いわゆる純文学的な作家にとって「環境はだんだんキツくなっていくと思います」としている。その通りであろう。 

 近代・現代詩および小説と違い相当長い伝統がある和歌・俳句においては、表現の芸術性について勘どころがよくつかまえられているとし、その代表として、斎藤茂吉の「死にたまふ母」の連作とりわけ次の二首を、「つくられた指示表出」=「劇化」による成功作にあげている。あわてて、書庫の重い『齋藤茂吉全歌集』(筑摩書房)を引っ張り出した。

 のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にゐて

               足乳根(たらちね)の母は死にたまふなり

 死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞ゆる

 現代の若い詩人の詩集をまとめて読んで、未来ないし過去の栄光を象徴していることから神話に取り込めるという要素が皆無で、「無」であるということ、自然(とのかかわり)を喪失しているということの二点が実態で、脱出口が見つかりそうもない。このことは、日本の社会を今後どうするのかという問題とも関連して考察すべき課題であると、吉本氏は結んでいる。このあたりのことはよくわからない。(HP.2009年4/8記)
◆「茂吉忌」に寄せて、歌集「寒雲」(『齋藤茂吉全歌集』筑摩書房)から、「梅」(五首)の5首と「春寒」(十首)の2首の歌を採録したい。

 近よりて笑(ゑま)ひせしむることなかれ白梅の園にをとめひとり立つ
                ※ゑまふ=えまう:ほほえむ。花が開く。
 くれなゐににほへる梅が日もすがら我が傍(そば)にあり楽しくもあるか
 梅が香のただよふ闇にひとりのみ吾來れりや獨りにやはあらぬ
 戀ひおもふをとめのごとくふふめりしくれなゐの梅をいかにかもせむ
                ※ふふむ=花や葉がまだ開かないでいる。
 きはまりて障(さや)らふものもなかりけり梅が香たかき園のうへの月
              ※さやる=さまたげられる。さしつかえる。
                      —以上「梅」(五首)より
 入りかはり立ちかはりつつ諸人は誇大妄想をなぐさみにけり
 むらぎもの心にひそむ悲しみを發(あば)きながらに遊ぶといふや
 まぼろしに現(うつつ)まじはり蕗の薹萌ゆべくなりぬ狹き庭のうへ
 冬がれて伏しみだれ居る山羊歯を切りとりて棄つ春は來むかふ
                      —以上「春寒」(十首)より
                   ……(ブログ:2014年2/25記)