春爛漫ではある

 物の内部にこもったエネルギーが外に向けて強く限りなく発散するさまが、「爛漫」の意味だそうだ。なるほど、「春爛漫」であり「桜花爛漫」である。「天真爛漫」もある。ところが、中国の使い方では、ぐっすり眠るのも、酒にしこたま酔っぱらうのも「爛漫」で、いずれも杜甫にその用例があるとのことである。さらに李白晩年(病床で)の「江南春懐」という詩では、「身世(しんせい)殊に爛漫」とあるが、この場合は、とりとめもなく自堕落な生活状態を指しているそうだ(「日本経済新聞」2004年4/11号:興膳宏氏「漢字コトバ散策」による)。この「江南春懐」を、訳とともに紹介しているサイトがある。
    http://blog.goo.ne.jp/tiandaoxy/m/200910(「tiandaoの自由訳漢詩」)

  江南春懐          江南春懐          

  青春幾何時     青春(せいしゅん)幾何(いくばく)の時ぞ
  黄鳥鳴不歇     黄鳥(こうちょう)鳴いて歇(や)まず
  天涯失郷路     天涯(てんがい)郷路(きょうろ)を失い
  江外老華髪     江外(こうがい)華髪(かはつ)老ゆ
  心飛秦塞雲     心は飛ぶ 秦塞(しんさい)の雲
  影滞楚関月     影は滞(とどこお)る 楚関(そかん)の月
  身世殊爛熳     身世(しんせい)殊(こと)に爛熳(らんまん)
  田園久蕪没     田園(でんえん) 久しく蕪没(ぶぼつ)す
  歳晏何所従     歳(とし)晏(く)れて何の従う所ぞ
  長歌謝金闕     長歌して金闕(きんけつ)に謝(しゃ)せん

  ⊂訳⊃
          鶯は鳴いてやまないが
          春の盛りがいつまでつづくのか
          生涯は尽きて故郷への路を失い
          江南の地で 老いの白髪が増すばかり
          心は 都の雲上を駆けめぐるが
          身は楚関の月下に漂っている
          一生を思うがままに生き
          田園は 荒れるままに任せている
          老いて拠り処とするものは何もない
          高らかに詩を吟じて 長安と別れよう
⦅写真(解像度20%)は、東日本大震災地震津波の被害にあった、あるところでの風景。それでも花桃が爛漫と咲いている。小川匡夫氏(全日写連)撮影。⦆