サッカー・マニアについて

 映画『薔薇の名前』の原作者である、記号学ウンベルト・エーコの3篇の「サッカー論」を考察・解説したピーター・P・トリフォナス著『エーコとサッカー』(岩波書店富山太佳夫訳)は、巻末の今福龍太の解説のほうが面白く明快である.
 少年時代巧くボールが蹴れなかったエーコは、そのことがすべての原因ではなかろうが、サッカーが嫌いらしい.イタリアで嫌いであると表明することは、この日本においてとは違った重さがあるのだろうか.もっともエーコは、「私はサッカーが嫌いなのではない.サッカーファンが嫌いなのだ」と言ってるのだそうだ。「日常的なマニア主義への陶酔」を生きている人種を「サッカーファン」と呼んでいるのだ。今福氏は、述べている.

「いずれにしてもここでエーコが語るサッカーファンへの嫌悪は、個人的趣味の問題では断じてない.エーコが否定的に呼ぶ“chatter”(お喋り)を、仲間内を超えて公共空間へと無差別に振りまくサッカーファンのあり方は、エーコのアンチ・マニアックな個人的心情を攻撃するだけでなく、多様性や差異、あるいは可能世界における無数のヴァリアント(variant=変形・別形)の存在自体を認めない偏狭な日常的思考へと人間を追いやる元凶でもあるからである.サッカーに無関心である人間の存在を想像すらできないサッカー・マニアという部族のエスノセントリズムのはけ口が、結果として市民社会の日常的ディスクール(discours=言説・語り)に向けられてはびこり、そのことによって民衆の社会的批判力自体が減退してゆく状況への警鐘がそこにはある.」 

 WCの超絶的プレーに酔うだけではなく、夏の花々にも酔いたいものである.

⦅写真(解像度20%)は、東京台東区下町民家の、上ゲンペイクサギ(クレロデンドロン=Clerodendrum)、下ムラサキゴテン(紫御殿=セトクレアセア・パリダ=Setcreaseapallida)。小川匡夫氏(全日写連)撮影⦆