室生犀星原作・NHKドラマ『火の魚』

 室生犀星原作・NHK広島制作ドラマ『火の魚』(脚本・渡辺あや、演出・黒崎博)が、「モンテカルロ・テレビ祭 ゴールドニンフ賞」を受賞したそうである.門外漢でわからないが、国際的に権威ある賞のようである.4月のわがHPおよびmixi日記に、この作品について称賛の言葉を書いておいたこともあり、寿ぎたい.ここに再録しておこう.
      http://www.nhk.or.jp/hiroshima/program/etc2009/drama09/

 NHKドラマ「火の魚」を録画で見た.BShiで録画してなかったので、映像的には観る側の用意が万全ではなかったが、たしかな感動を与えられた.広島のある島で健康的だが孤独な生活を送る流行作家の老人村田省三(原田芳雄)と、東京の出版社の編集者で彼の担当となって島に通う折見とち子(尾野真千子)との、生と死と創造をめぐる「格闘技(渡辺あや・脚本)」の物語.原作は室生犀星
 出会ったときは、折見を無礼な女性として追い返した村田は、彼女が砂浜に描いた大きな龍の絵を見てから態度を変える.彼女が人形影絵劇をすることを知り、「子どもたちのため」という名目で島にくる度に上演させる.老作家は、次第に折見に魅かれる自分に戸惑う.彼女は、この作家の全作品を読んでいて、現在の創作の低劣化を辛辣にかつ誠実に訴える.そしてみずからの影絵劇のできばえについても厳しい.折見とち子は生きることに真摯であり、美しいものを創ることにも妥協をしない女性であったのだ.
 単行本を作るにあたって、寺田は、その表紙に金魚の魚拓を使いたいと思いつき、釣り人だった父からその手法を学んでいた折見に依頼する.金魚を殺すことになるからと拒否した折見に、「所詮人生は魚拓になるまでの物語」で、金魚もほかの魚も同じこととして、魚拓作りを命令.折見は、鉢の金魚を掬いとり涙をこらえながらそれを実行する.
 じつは彼女は、過去がんの手術をしていて、再発してしまう.東京の出版社に問い合わせて真実を知った村田は、東京の病院に大きな花束をもって見舞いに訪れる.
 会うのを躊躇した折見も、2時間も病院の庭を動かない村田の前に姿を現して、花束を受けとる.「私もてちゃってるみたい」と言う折見に、「そうとっていいぞ」と村田が返し、彼女は微笑む.この一瞬のやりとりに、凝縮されたこのドラマの「いのち」があろう。
 さっそく室生犀星の原作を探して読んだ.講談社文芸文庫に収録本があった。だいぶ違っていた.「小説家という類い稀な職業」の私が、装幀家栃折久美子をモデルとした折見とち子に、単行本(『蜜のあはれ』)の表紙のために「一人の女の投身のような」「海に降下してゆくところ」の金魚の魚拓を依頼する.私は「生きている金魚を殺せるような恐ろしい女」ではない、として断った装幀家は、たまたま買った金魚が死んでいたということで、魚拓作りを引き受ける.だれにも頭をちょっとだけしか下げないこの女性が、肋骨4枚分切り取った手術を受けていて、胸にギブスをはめていたのだ。とち子の手紙を私が読むという形式で展開されたこの小説は、一色誠子氏によれば、「本質は、手紙という形の〈私〉の〈独白=モノローグ〉として捉えることができ」、「金魚の魚拓をとることへの執着は、〈私〉の飽くなき探求であり、装幀へのこだわりは、〈私〉の芸術論の展開と解してよかろう」としている(室生犀星「火の魚」論—一つの芸術論として—)。
 美しいものを希求しながら何かをつくるいとなみを通してのみ、異なる魂が今生でかろうじて交わることができる。テレビドラマは、犀星自身の芸術論よりもそういうメッセージに力点をおいたといえよう.「平成21年度文化庁芸術祭大賞」を受賞したとのこと.受賞に値する作品であり、病院の庭から老作家を見上げる、折見とち子(尾野真千子)の視線の哀しみが永く記憶に残りそうだ.

⦅写真(解像度20%)は、東京台東区下町民家の八重クチナシ。小川匡夫氏(全日写連)撮影.⦆