三輪山憧憬

東京新聞」5/20夕刊紙上に、奈良県桜井市在住のモブ・ノリオ氏が、「私の三輪、大和路」と題するエッセイを載せている.なつかしい想いで読んだ.
 昔大和三輪山に登ったことがある.大神(おおみわ)神社にまず参拝.ここは、円錐形の山、三輪山をご神体として、大物主大神を祀っている。したがって本殿がない.お守りを購入したときの、美少女の巫女さんの手の冷たい感触はよく覚えている.拝殿奥には有名な「三つ鳥居」があるそうなのだが、実物は見ていない.
 拝殿向かって左に回り、狭井神社で必要事項記帳し、カメラなど手荷物を預け、「三輪山登拝証」の襷を借りて、登山参拝.当時は登る人多くはなく、パトロールの人と出会ったほか、途中のお滝場で裸で水に打たれている老人の女性がいたくらいだった.一瞬驚いたが、「なんだ、バアさんか」と、清浄の空間にふさわしからぬ感想を抱いてしまった。山頂のお社に辿り着き、下山含めておよそ2時間ほどかかったかと、記憶している.いま登ったとすると、今度はこちらが「なんだ、ジイさんか」なので、もっと時間がかかるだろう.
 熊野の那智大社、広島の厳島神社、京都の上賀茂神社貴船神社とともに、わがお気に入りの神社である.
   http://www.oomiwa.or.jp/
 モブ・ノリオ氏は、この神社における自然崇拝の宗教史的意味ともいえることを的確に述べている.
『「大神」と書いてオオミワと読み、神々にとっての大いなる神である「大物主」が祀られているのだから、三輪山や、山から昇る太陽を崇拝することは、自然即ち宇宙そのものに心を開き、われわれの生命の源、森羅万象の始原にまで想いを馳せる喜びにほかならないと私は解している.宗教が宗教になる以前の、自然と人との関係を、その間に国家や為政者の言語を介さず、感覚的に自問し直すこともできる特別な山が身近にあるのは、真に幸せである.』 

⦅写真(解像度20%)は、東京北区旧古河庭園の薔薇(HT系統の、ビッグドリーム=Big Dream)。小川匡夫氏(全日写連)撮影.⦆