チェーホフ生誕150年




 

 今年は、アントン・チェーホフ生誕150年ということで、東京両国シアターXでは、これを記念した「国際舞台芸術祭」が企画されている.6/1 〜7/4の期間で、6/10のモスクワ・エトセトラ劇場公演『人物たち』のチケットを購入している.チェーホフの五つの短篇から構成された舞台だそうで、幕開けが愉しみである.昔(50年前ではないが)生誕百年記念映画、ヨシフ・ヘイフィツ監督の『小犬をつれた貴婦人』をアートシアター銀座で観たことがある.舞台は、『かもめ』をはじめ数えきれない.
 亡き天野哲夫氏は、書いていた.
「本来日本文化とは、欧米の«誕生日の文化»に対し«命日忌日の文化»といえるもので、それが深く天皇信仰神道、日本大乗仏教、孔孟の教え等々との混淆融合のうちに、少なくとも、その伝統は一九四五年八月十五日までは、«三つ子の魂»をして因って立たしむる土壌を醸成し来たったのであった.
 生誕百年、といった言い方にぼくは馴染みがない.没後百年、百回忌とする追慕の閲(えつ)年によってこそ伝統の経路をたどることができるのである.」(『勝手口から覗いた文壇人』第三書館)
 
 そういえばチェーホフ没後百年の折、わがHPでチェーホフの映画のことなど記述していた(04年10月)。たしかに没後百年のほうが、追慕の想いは強かったようだ.HPの寿命も考慮して再録しておこう.

チェーホフの唯一の長編小説を映画化した『狩場の悲劇』(1978年作品)をロシアのRUSCICOが製作したDVDで鑑賞した。監督は『ジプシーは空にきえる』のエミリー・ロチャヌーで、そのときのヒロインを演じたスヴェトラーナ・トマが、やはりジプシーの女性(チーナ)役で登場している。瞠目する美しさだ。
 原作では、新聞社に原稿を売り込みにきた予審判事カムイシェフ(=イワン・ペトローウィチ・カムイシェフ)が、実際の事件に基づいて書いた小説世界という設定になっている。カムイシェフ=セリョージャなのである。
 気の触れた森番を父にもつ19歳の娘オーレニカ(オリガ・ニコラーエヴナ)が、ひそかに愛する40歳に近い予審判事のセリョージャ(セルゲイ・ペトローウィチ)とは結ばれず、3倍の年齢の伯爵の執事ウルベーニン(ピョートル・エゴールイチ)と結婚することになる。その財産と地位のためなのだ。何にも情熱をもてないで、仕事も中途半端で怠惰に暮らすセリョージャは、オーレニカへの恋の情熱にも懐疑とためらいがあった。そのことが最終的にオーレニカの狩場での死という悲劇を生んでしまうのである。憂愁の人セリョージャの行くところに、必ず咲きそろう花々がある。愁いと淋しさを湛(たた)えたロチャヌーの映像が素晴らしい。映画を観ながら不用意に「愁ひつヽ岡にのぼれば花いばら」(蕪村)の句を思い起こした。
 さっそく本棚の『チェーホフ全集』(中央公論社版)3を取り出し、不覚にも未読の原作を読みはじめている。赤い服のオレーニカとの初めての出会いの場面は、映画では伯爵邸を訪ねる湖岸においてであったが、原作では、伯爵と森のなかを散策の途中になっている。チェーホフは美少女をこう描写している。参考になる。
「《この上なく立派な女性》は、美しいブロンドの髪と、善良そうな碧い眼をした、捲毛の長い19歳の娘だった。彼女は少女ものとも娘ものともつかぬ、眼のさめるように真赤なワンピースを着ていた。赤いストッキングに包まれた、針のようにすらりとした足は、まるで子供靴のように小さな靴の中におさまっていた。円っこい肩は、わたしが彼女に見とれている間ずっと、まるで、寒くてならないか、でなければわたしの視線がこそばゆいかのように、コケティッシュにすくめられていた。(原卓也訳)」
 小説では、判事の娘ナージェニカという、セリョージャを慕う女性がいて、こちらとの不幸な別れについて展開がある。映画のほうがシンプル化されて、より完成度が高くなっているのではないか。チェーホフはやはり短篇作家なのであろう。原作をまだ半分読んだところなので確信はない。ヒロインのオーレニカに抜擢された、ヴォロネジ・バレエ学校の学生ガリーナ・ベリャーエワの清楚で内に強いものを秘めているような美しさには堪能させられる。かつて愛読したロシア文学の世界の天使たちのイメージを裏切らない。

⦅写真(解像度20%)は東京北区旧古河庭園の薔薇(ハイブリッドティー系統・Warriner作出、アブラカダブラ)。小川匡夫氏(全日写連)撮影.⦆