同時代文明の出会い:「勝ち犬」と「負け犬」



 
 本日は、歴史家アーノルド・トインビー(Arnold Joseph Toynbee)が亡くなって(1975年10/22)38年目の命日。所蔵の『図説・歴史の研究』(学研:桑原武夫ほか訳)を取り出して、パラパラ捲ってみた。この本は、「幾多の点において12巻本の原本とも、またD.C.サマーヴェルによる最初の10巻の要約本とも異なっている」。「図版は本文を補強するだけではない。それらは、ことばでもっては十全に表現することができない多くのことを伝えることができる」と、「はしがき」で、トインビーみずからが記している(1972年6月)。第9部「文明間の空間的接触」・49「同時代文明の出会いの心理的諸結果」のところを、イラストを楽しみつつ読む。
 複数の文明が出会えば、潜勢力の強い大きい文明は弱い文明を攻撃的に利用するという驕慢さ(ヒュブリス)に陥りがちであるが、「勝ち犬」として同胞たる人間を「負け犬」として非人間的に扱うならば、応報(ネメシス)が待ち受けるだろう。この「非人間性のうちでもっとも非人間的なところの少ない形態は、宗教が主導的・支配的文化要素であり、かつそのように感得され認められているような、攻撃的文明の代表者によって示されることが多い」とし、イスラム教とキリスト教の歴史的事例を記述している。
 イスラム教では、ユダヤ教キリスト教の二つの信徒を「聖書の民」と呼称し、イスラム支配下地域において、支配に服従し、この服従の徴(しるし)たる税、およびそれにともなう安全の保証金を支払った場合、非イスラム教的な信仰の放棄を強制されることなしに、イスラムの「主権」の保護を受ける権利をこの「聖書の民」およびサバ族(BC8世紀~AD6世紀にアラブ史の最初をかざった部族)に与えた。そしてついには暗黙のうちにゾロアスター教ばかりでなく、多神教を信じる偶像崇拝ヒンドゥー教徒にまでその特権は拡大されたのである。さてそれでは宗教内部に対してはどうであったか。
……「聖書の民」というこのイスラムの概念は、自己の宗教に精神的に近いと考えられる他の宗教にたいして積極的な態度を表明したものである。その反対の極にあるのが、「分離派」と「異端」というキリスト教の概念の表明する消極的態度である。この正反対の否定的立場からすれば、異端的信仰の正統的信仰との精神的親近性は、寛容に扱われる資格をもつ長所ではない。異端がその有する親近性にもかかわらず分離するときは、精神的説得が効を奏しない場合には、物理的な力をもって絶滅すべきことが求められる邪教であるとされた。キリスト教イスラム教も、正道からそれた宗派にたいしてこの態度をとった。イスラムの共同体では背教にたいしては死という非情な刑罰さえ用意されていた。また、キリスト教社会は、諸民族の間に存する宗教的差異以外の差異には無関心であったが、そこには盾の半面がひそんでいた。キリスト教の教義を受容することは、すなわち、社会的受容の通行証だったが、同じ論法によって、キリスト教を受容することを拒否することは、つまりは垣根の外に放り出されることであった。……(同書pp.508~509)