「三銃士」物語とゴダール




 
 NHK教育テレビで放送中の連続人形活劇『新三銃士』も、とうとう来週28日(金)で最終回を迎えることになった.第1回よりほとんど欠かさず観ている。三谷幸喜を中心とするスタッフおよびキャストが素晴らしく、堪能した.スパニッシュ・コネクションのオープニング音楽は、胸躍らせる音で、みごと.キャスティングは申し分なく、少ない人数で登場人物の声を複数担当している.アンヌ王妃の侍女コンスタンスの声は、『龍馬伝千葉佐那貫地谷しほり。ボナシューというわけのわからない男を亭主にもちながら、三銃士のひとりアラミスへの激しい恋心を隠さない.聡明にして自己抑制的でありながら情熱的であるこの女性を、鼻腔が狭いのだろう、少し鼻にかかる声で、貫地谷しほりが好演.戦争で愛する息子を亡くした老婆の声も担当したり、上野樹里と並んでいまもっともすぐれたコメディエンヌであるとともに、迸る情念の人も演じられる才も示して感嘆させられた.
    http://www.nhk.or.jp/sanjushi/index.html
 ところで「三銃士」物語で思い起すのが、ジャン・リュック・ゴダール監督の映画『女と男のいる舗道』である。みずからの生活に疑念を感じた娼婦ナナが、あるとき哲学者に出会って「三銃士」のボルトスの話を聞く件である.
   http://bonkura-oyaji.at.webry.info/201004/article_1.html

 ここで哲学者が、『つまり…ポルトスという人物が…、これは「二十年後」の話なのだが、太った大男が出てくるだろ。彼は一度も考えたことがない。ある時、地下に爆薬を仕掛けることになった。そして導火線に火をつけ、逃げた。その時、突然、考えた。何を考えたか? なぜ右足と左足が交互に前に出るのかと。そう考えた途端に、急に足が動かなくなった。爆発が起こり、地下が崩れた。彼は強い肩で必死に支えたが、1日か2日後には押しつぶされて死んでしまう。考えたために死ぬんだ』と語る.印象的で衝撃的シーンであった。
 かつてわがHPで書いた(02年5月26日)ことがある.再録しておこう.

WOWOWで3日にわたってジャン・リュック・ゴダールJean-Luc Godard)の『映画史』を放映してくれた。むろん全部VD録画撮り。たっぷり時間のとれるときに一気に観てみたい。ゴダールは、『勝手にしやがれ』、『女と男のいる鋪道』、『軽蔑』、『恋人のいる時間』、『男性・女性』、『気狂いピエロ』と観ているが、その後映画館で上映されたものはまったく観ていない。最新作『愛の世紀』がロードショー公開されている。映画における「フランスの凋落を前に、あたかもそれを否定するかのように華々しい活躍を続けている監督が、例外的に一人存在している」と四方田犬彦氏はゴダールに讃辞を贈り、最近のゴダール映画の傾向を述べている。
ゴダールの作品はますます物語の構造から離れ、回想的独白の傾向が強くなってきた。90年代の冷戦体制の崩壊について何の予備知識もたない観客が『愛の世紀』を見ても、ただ当惑するだけかもしれない。だがほぼ半世紀にわたって映画を撮り続けてきたこの監督が、20世紀と呼ばれる巨大な喪失体験をなんとか次の世代に伝えていこうとする姿勢には、感動的なところが感じられる。」(「東京新聞」5月11日)
 個人的には、『女と男のいる鋪道』がいちばん好きである。ヒロインのナナを演じたアンナ・カリーナがとても魅力的であった。お金のために簡単に体を許す街娼となった、パリの女ナナがたまたま居酒屋で出会った一人の青年を愛してしまい、ヒモと別れようとしたとき、売り飛ばされることになった売春業者の放った銃弾に倒れてしまう。愛や生きることを真剣に考えようとしたとき、もはや周囲は彼女の存在を認めない、そういう現代的〈教訓〉を盛り込んだこの作品は、そのクールな映像とともに忘れられない。居酒屋で悩みを打ち明けた老哲学者が、考えたとき足が止まって自らしかけた爆弾で死んでしまった三銃士の、書かれざるエピソードをナナに語ったシーンなど、その直後のナナの運命を暗示していて、名場面であろう。ベッティナ・ランス(Bettena Rheims)が撮ったアンナ・カリーナの、黒々とした下半身の叢を晒したヌード写真(1988年発表)には、ほんとうに驚いたものである。

⦅写真(解像度20%)は東京北区旧古河庭園のノイバラ。小川匡夫氏(全日写連)撮影.⦆