『万葉集』との付合い




 今年の「建国記念日」に、新宿で高校同窓の定例の集まりがあり、そのとき、かつて水資源開発公団(現・開発機構)で責任ある立場であったI氏から、自作(申彦作)歌を載せた二上山の写真を頂戴した.『万葉集』にはまっているとのことであった.
 思えば、若いころは、わが周辺に『万葉集』を読む人がいて、その影響もあり、ずいぶん読んだり勉強したりしたものだ.都立白鴎高校定時制課程)の国語担当に、同僚としてたまたま土屋文明門の研究家・歌人と、中西進門の歌人・研究家がいて、学ぶことが多かった.その後中西進氏の著作は、座右の『万葉の世紀』(写真・石川忠行、毎日新聞社)ほか何冊か読んでいる。
 昔読売新聞社主催で、毎年夏に集中的に文学の講座が催されていて、近代文学の集中講座では、江藤淳氏の漱石論などがとくに印象に残っている.ある年、『万葉集』の集中講座が催され、全部受講した.
 大野晋氏の、『万葉集』の時代には、サ行の発音はなく、「ささの葉はみ山もさやにさやげどもー」は、当時は「つぁつぁの葉はみ山もつぁやにつぁやげどもー」と詠われたということ.西郷信綱氏の、「沖縄の『おもろさうし』から照射させて、読まれるのではなく詠われるものとしての『万葉集』を考えたい」との、その後の研究を示したこと.「夜もすがら憶良しらぶるに雨やまず庭の薮椿も落ち過ぎぬべし」の歌もある高木市之助氏の、「山上憶良の『貧窮問答歌』に続く有名な短歌について、レンブラントの自画像と同じ、憶良の自画像であるとみることもできる」との見解など、言葉に若干の記憶違いはあろうが、刺激的な講義内容であった。
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⦅写真(解像度15%)は、千葉県九十九里ノカンゾウの花.小川匡夫氏(全日写連)撮影.⦆