万葉集はオペラ(2003年8/20HP記)

◆いささか旧聞に属するが、「新しい歴史教科書をつくる会」というグループが作成した『中学校社会科歴史的分野』の内容について、書誌学者の谷沢永一氏が、「私の検定では、合格にならない」と細部に渉って批判している。最初のところで万葉集の成立に関してとりあげている。
 たとえば、65ページに「日本古来の和歌を集めた『万葉集』が、朝廷の命によって編集された」という一行があるが、これは全くの間違いである。『万葉集』は私的な選集としての形式による詞歌集であり、いうならば個人が勝手につくったものである。「朝廷の命によって編集された」勅撰和歌集ではない。(『「新しい歴史教科書」の絶版を勧告する』ビジネス社)
(異端の)万葉学の泰斗(たいと)である中西進氏の次の文章を眼にした。『謎に迫る古代史講座』(PHP)のなかの、万葉集の謎についてとりあげた、全講座22のうちの12、13にある。
 こうした万葉の「古代性」を示すものの一つに、万葉集の成立の問題がある。万葉は自然に形成されて成立したものであって、一時に編集されたものではない。いっせいに蒐集され、按配されなかったものに、明瞭な統一的意志は、宿りようもあるまい。いやむしろ、この自然な形成の中に万葉の本質があった。
 この本質とは万葉の古代性である。
 中西進氏は、万葉集を、天皇を主人公とするオペラではないか、そしてその演出は柿本人麿かもしれないと、面白い推察を述べている。万葉集の歌の作者名はそのまま信じてはならないそうである。
 たとえば、額田王の名歌とされる一首「君待つとわが恋ひをればわが屋戸の簾動かし秋の風吹く」(巻4、488)も、
 右の歌のことばを一つ一つ吟味して、時代がわかる歌と引き合わせてみると、この歌のことば遣いは、少なくとも七世紀後半をさかのぼらなくなってしまう。むしろ平城万葉ふうな優美さといってもよいくらいだ。
 その中でこの一首のことばと一番近かったのは、何と柿本人麿のことばだった。「君待つと……」の作者は、じつは柿本人麿かもしれない。
 万葉集が〈声の文化〉だったのかどうかはともかく、オペラだったとの碩学の指摘は面白い。
 額田王在世中に大オペラは完成したかどうかは明らかでない。いや、王の死をもってすべてが過去となり、すべてをなつかしむ持統女帝のために歌劇はつくられたのかもしれない。持統天皇の父への怨嗟が薄らぎ、天智天皇の山科陵の修理を持統天皇が思い立つようになったのは、晩年のそのころのことである。

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