トランペットの音には哀愁がある

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わが岩波ホール

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映画館というような特別の神殿」ジョーゼフ・キャンベル『神話の力』(早川書房・飛田茂雄訳)より
【サタジット・レイ監督作品】

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マイケル・カコヤニス監督作品】

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アンジェイ・ワイダ監督作品】

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小栗康平監督作品】

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ジャック・リヴェット監督作品】

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【テンギズ・アブラーゼ監督作品】

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ウスマン・センベーヌ監督作品】

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アラン・レネ監督作品】

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【テオ・アンゲロブロス監督作品】

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マルガレーテ・フォン・トロッタ監督作品】

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ロバート・アラン・アッカーマン演出の『楡の木陰の欲望』を思い起こす

 日本でtpt制作の舞台をしばしば演出している、ロバート・アラン・アッカーマン演出の舞台では、東京南千住のTHEATRE 1010杮落し公演、tpt制作、ユージン・オニール作『楡の木陰の欲望』が印象深かった。2004年10/23記の観劇記を載せて、この演出家を偲びたい。

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◆今週の月曜日(10/18)に東京北千住に新しくできた劇場、THEATER 1010の開館記念公演、ユージン・オニール作、ロバート・アラン・アッカーマン演出による『楡の木陰の欲望』を観劇した。老農夫エフラム(中嶋しゅう)の3番目の若妻アビーに、寺島しのぶ、その農夫と亡くなった先妻との息子エバンにパク・ソヒというキャスティング。前列3列目の真ん中の席だったので、いま旬の女優寺島しのぶさんの胸がはち切れそうな豊満な肢体がよく堪能できて、それだけでも満足できた舞台ではあった。
 オニールのこの作品は何回か観ているが、今回はとくに現代性を感じさせられた。アッカーマンの演出も、神の不在と存在の無意味性という問題を意識しているようだ。パンフレットの演出ノート風の文章で述べている。
『自分たちの神に見放され、運命を操る力の正体を突きとめようとしながら現代に生きる誰もが世界や生や死と孤独のままで裸に向き合っています。我々はそこに答えを見い出そうとしますが、返事が返ってくることはありません。人間の純粋さを破壊し、幸福を阻害し、絶望と苦悩を生み出す力は確かに存在します。その「何か」は常に我々とともにあり、家の中や身体の中、土や空気の中にも潜んでいますが、その正体は杳として知れません。』
 アビーとエバンは激しく求めあい、二人の間に子供が生まれる。老農夫に新しい子供ができたとして催された祝宴に集まった近隣の者が、うっかり「アデーが農場を欲しいために跡取りを作ったのさ」と漏らしてしまう。利用されたかと誤解したエバンがなじると、彼への愛の証に、アデーは赤ん坊を殺してしまう。殺人犯としてアデーとエバンは保安官に逮捕されるのである。連れ去られる二人は、地平線の太陽の美しさにしばし見とれる。これが終幕の場面である。
 登場人物の誰もが、何かを所有しようとして行動しそこに破綻が生じている。早くから両親に死なれ、他人の家の雑事で不幸な青春と失敗した結婚生活を送ってきたアデーは、エフラムの家にはじめて入って、「私の家、私の寝室、私の台所……」と自分の所有物に感動する。ここは象徴的な場面として、印象に強く残った。この場面での寺島しのぶの視線は可愛らしい。しかしエバンの愛という根源的に所有したいものが現われると、最後にはそれらはどうでもよくなってしまう。人が所有したいものは、深いところでは、もっと宇宙的なものなのだろう。事物の所有ヘの夢は、世界を所有したい根源的願望のおそらく戯画であろう。世界を所有するための契機としての、アデーとエバンの互いの愛の所有は、結局は死と結びつくことによってでしか可能でなかったのだ。
 楡の大木に守られた堅牢で立派な農夫の家は、誰もが所有したいほどの建物であるが、一方では、そこから脱出できない、現実の生存の条件なのである。カリフォルニアの黄金を求めて旅立った兄たち二人に待っているのは、野垂れ死にか、また別の家の生活でしかないであろう。演出において、しっかりとした家の舞台装置を設置したのはうなずけるところであった。(2004年10/23記)

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開店20周年のモナリザ丸の内店でディナー満喫

www.monnalisa.co.jp 1/8(土)は、池袋東京芸術劇場コンサートホールでの観劇の後、東京メトロ有楽町線に乗り護国寺まで。護国寺近くのカフェで次男家族と待ち合わせ、1歳になったばかりのKちゃんとも初顔合わせ。母娘と別れて、タクシーで東京駅南口丸の内ビルに移動。15店舗あるビル36Fに直行、予約してあったフレンチレストラン・モナリザオーナーシェフ= 河野透)に入った。次男Y氏による、Kちゃん生誕祝いのだいぶ遅れてのお返し(名目)の接待会食であった。廊下にはところどころ華麗な花が活けられてあって、下界の喧騒を忘れさせる静かな雰囲気が漂っている。
 シャンパンで新年を祝い、赤ワイン(銘柄?)でKちゃんの誕生日を祝福した。肉料理の選択は、「国産牛フィレ肉のポワレと旨味たっぷり源助大根&ミルフィーユ仕立て スパイシーなオマール海老のアクセント」を注文したが、(支払いの心配が不要で)結果としていい選択であった。
 ひさしぶりの遅い夜の帰宅とはなった。森谷真理のソプラノが聞こえて就寝。

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          (弁護士のY氏は本日1/12が誕生日。)

オマージュとのこと:NHK『カムカムエヴリバディ』1/11放送回

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プーランク作曲『人間の声』&ジョルジュ・ビゼー作曲『アルルの女』鑑賞

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   1/8(土)、東京池袋の東京芸術劇場コンサートホールにて、ジャン・コクトー原作、プーランク作曲のモノオペラ『人間の声』と、A.ドーデ原作、ジョルジュ・ビゼー作曲の劇音楽『アルルの女』を鑑賞した。『人間の声』の原作戯曲の舞台は、昔青山草月ホールにて観劇している。いまその時の公演パンフレットが見つからない。失恋したばかりの女が、ひとり部屋で交換台を媒介にした電話機を耳にあてながら、その別れた男と会話しつつ、初めと途中でどこかの他人と繋がってしまい、そちらにも誠実に応じる展開の結末で、コードを首に巻きつけて女は命果てる、という哀しいお話。一人芝居である。それをプーランクはモノオペラの作品にした。

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 舞台中央のベッドと電話機の置かれた台の間に立って、女=森谷真理(ソプラノ)が語り(歌い)つづける。極限の悲嘆を歌うときの美しい高音はむろん聞かせるが、旅先のような男に対して「二人で泊まったあのホテルには泊まらないでね」と切々と力なく訴える歌唱のところに感動した。森谷真理の真骨頂がそこにあるような印象をもつのである。

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 劇音楽『アルルの女』では、まず佐藤正浩(指揮・台本翻訳・構成)指揮のザ・オペラ・バンド(管弦楽)の音が心地よく、武蔵野音楽大学合唱団の合唱も美しいハーモニーを愉しめた。こちらの物語も、プロヴァンスのある村の失恋した男が絶望してバルコニーから飛び降り自殺して果てるという、悲哀の結末。朗読劇による演奏会形式の構成で、語りと老羊飼い役で松重豊が出演。ほかに東京演劇道場の3人(木山廉彬・的場裕太・藤井咲有里)が出演。藤井咲有里はどんな演技をするのか、ストレートプレイで観たい気も起こった。生・松重豊の背が高いのには驚いた。目立つのを避けるためか、やや猫背気味に登場していた。NHK朝ドラ『カムカムエヴリバディ』でも、隠れた役で〈特別出演〉していて笑わせてくれる。同じ脚本家の作品なので『ちりとてちん』とのコラボだろう。

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『文学+|02|』(凡庸の会)を読む(2)

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 中沢忠之氏の「純文学再設定+」は、連載『脱(20世紀日本)文学史試論』の第2回とのことだが、単独論考として面白かった。前稿で論じていることで、「純文学を代表する私小説を批判する形で現れた」とする「純文学の枠組みを設定する三要素」は、「自意識批判」と「叙述形式の再編」と「社会性・大衆の導入」の三つである、としている。ここで注意したいのは、その純文学は大衆文学を「外部化」し、「物語」を委譲したことである。なるほど。中沢氏は、この関係を4象限マトリクスに還元し、タテ軸|私(自己)ー社会(大衆)、ヨコ軸|内容ー形式とする。

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第2象限:私の内面を語る私小説に対して、その内容をより徹底させるべきとの実存的立場
第1象限:私小説批判を小説の形式性(フィクション)において組織した「叙述」=新興芸術派
第3象限:内容(リアリズム)に立脚しながらも、私小説の内容の質を批判したプロレタリア文学。「主題の積極性」を評価するのもこの系列。
第4象限:形式的な枠組みによって「物語」を量産する大衆文学
 1980年代以降純文学においては、第2象限の「自意識批判」と第3象限の「政治・社会性」が後景化し、第1象限の「叙述」と第4象限の「物語」が伸張している。これは「内容」を描写するリアリズムが機能失調し、これら既成のリアリズムに対して、サブカルチャーの形式性から「アニメ・まんが的リアリズム」(大塚英志)や「ゲーム的リアリズム」(東浩紀)といったコンセプトが案出され、「内容」を描写するリアリズムの機能失調により、リアリズムの乗り越え・乗り換えが図られているということ。「私」の問題性や「政治・社会性」を問う純文学も消えてはいないが、苦戦を強いられている現状である。
「2000年代以降の純文学を考察する上で注目すべき指標となる作家は保坂和志高橋源一郎だろう」とし、二人とも「物語」には消極的な関わりしかもたない点で一致しているが、高橋源一郎の場合は、「自意識批判」と「政治・社会性」もカバーするのに対し、保坂和志の場合は、「自意識批判」も「政治・社会性」も締め出し、「叙述」の純粋培養を徹底させている。どちらの作品も読んでいないので、ほう、そうか、との感想のみである。

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『文学+|02|』(凡庸の会)を読む(1)

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 『文学+』(凡庸の会)は、「文芸批評と文学研究の対話を緩やかなモチーフとする同人誌」で、今号は第2号。もう一つのテーマとして「文学史の再構築」「文学史の書き換え」があるとのこと。巻頭に大石将朝氏(麻布中・高教諭)司会進行の[座談会レジュメ]「明治文学史の再構築に向けて」が置かれている。西田谷(にしたや)洋富山大学教授・大橋崇行東海学園大学准教授・木村洋上智大学准教授・出口智之東京大学大学院准教授、近代文学研究の気鋭の研究者と思しき人らによる「新しい明治文学史観」の討議である。その基底には、『小説神髄』神話・『自然主義』神話・『漱石』神話を疑って考え立証するという立場を共通にしていて、4人の研究者はいずれも「明治文学研究の主流をなしてきた、漱石・鴎外の研究者ではなく、従来の明治文学史、および中村・柄谷史観において軽視されてきた文学者に焦点を当てている」。
 門外漢として個人的には、西田谷氏の「現在のエンターテイメント、アニメなどのジャンルの先駆的なもの、源流的なものとして明治の政治小説があるのでは」、大橋氏の「山田美妙の『いちご姫』を見た時すごいと思ってしまった。山田美妙の言葉というのはすごく構造的に作られていて、作為的というか、言葉そのものを作っていこうとする傾向がある」、木村氏の「作家主義・精読主義でもなく、第三の道文学史研究こそわが進むべき道と思った」との発言にも興味をもったが、幸田露伴研究の出口氏の次の指摘に感銘を受けた。

 例えば、さっき言った根岸党の場合、作家だけじゃなくて、劇評家とか、絵師とか、新聞記者とか、ほかにも俳人とか官僚とか裁判官とか、本当に色んな人が自由に交遊していて、そのごった煮みたいな中から作品が生まれてきている。彼らが一緒に作った作品ではなくても、それぞれの人の作品にはそういう交友関係が確かに影響している。露伴にも、絵師や劇評家の影響を受けて書かれた作品はたくさんあるのだけれど、文学史として語ると、そういう人たちはまず、というよりはほぼ完全に、落とされてしまう。いなかったことにされてしまう。でもそれだと、色んなことがわからない。(p.22)

 

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日本の未来:人口減の問題

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 昨日1/4(火)は、孫3号のKちゃんの1歳の誕生日であった。もう立って少し移動ができるように成長しているとのこと。孫たちが社会の前線で生きるころ、日本はどうなっているのだろうか。希望を託したいが、社会構造上の不安もある。人口減の問題である。経済評論家鈴木貴博氏のレポートには震撼させられる。

toyokeizai.net 

 日本の人口は減少に転じてからは放物線を描くように人口減少が始まると予測されています。最初のうちは減少率が小さいのですが、徐々に加速がついて減少幅が大きくなる。とりあえずここまでの5年間が178万人減で、ここからの10年は1100万人減少というペースで減っていくわけで、やがて人口は半減し遠い将来には「日本人は消滅する」とまでまことしやかに言われているぐらいです。

 

news.yahoo.co.jp