『横尾忠則遺作集 TADANORI YOKOO』(学藝書林)ひさしぶりに眺める

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 9/26(日)放送のNHK日曜美術館』で、横尾忠則を特集していた。ひさしぶりに放送でも紹介のあった『横尾忠則遺作集 TADANORI YOKOO』(学藝書林 1968年3月初版)を探し出して愉しんだ。

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   寺山修司主宰の演劇実験室天井桟敷の定期会員募集のポスターであるが、こちらは応募が早く、会員NO.2の会員であった。その会員証はいま考古学的に探索しても見つからない。寺山修司関連では、人形作家土井典制作の大山デブコ人形(小サイズ)を所蔵しているのも披露しておこうか。元サイズの大山デブコ人形を寺山修司にしばらく貸与してから返却してもらうと、乳房のところだけ(たぶん手垢で)汚れが目立ったと、土井典さんが個展のギャラリーで語っていたことを記憶している。

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浅草吉原「桜なべ 中江」のクラウドファンディング参加

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 緊急事態宣言下東京の多くの飲食店が大きな打撃を受けているとのこと。浅草吉原の桜鍋の老舗「中江」も、『このコロナ禍で逼迫している桜肉の生産地や牧場も含めた「桜なべ文化」へのご支援をお願いした次第』ということで『創業116年、有形文化財にも指定の「桜なべ文化」を守りたい』のプロジェクトを立ち上げている(8月末終了)。微力なこちらなりに支援した。昨日その返礼にとのことで、食事券が送られて来た。じつは浅草育ちでも老舗の「中江」に行ったことがないのである。期限無限定の食事券なので、いつか訪問してみたい。

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人生にとって橋とは何か:(おかえり)モネ「橋を渡って来た」

 昔書いた(若書きの)エッセイ「橋について」を載せておく。

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▼橋というのは、何か悲哀を漂わせる舞台となりやすいように私は思っています。何故だかわかりません。文藝や映画の場面で、涙せずにいられぬ別れや失意が、橋の上で演じられているのが数多く記憶に残ってでもいるのでしょうか。

 といっても映画で確かに思い出せるシーンといえば、アンドレ・カイヤット監督の『ラインの仮橋』の最後のシーンのみなのですが。この映画は、私の感心した作品の一つです。
 
第二次世界大戦中のドイツのある村と、フランスのパリの都が物語の舞台です。ドイツとの戦争に応召したフランスの二人の男、シャルル・アズナブール扮する下町のパン屋ロジェーと有能なジャーナリストのジャンは、ドイツ軍の捕虜となり、ラインの軍用仮橋を渡らされて、収容所に送られます。やがて二人はある村で農夫として働くことになります。村長の美しい娘ヘルガは、男っぷりのよいジャンに夢中になるのですが、ジャンはヘルガを利用してドイツを脱走することに成功してしまう。罪を問われて逮捕されたヘルガが許されて戻ってきた村では、ロジェーが村長の息子の少年と、ドイツ語とフランス語を互いに教え合う仲になっていました。ノルマンヂー上陸作戦は成功し、パリが解放される。村長が戦死し、夫人も病死してしまう。そんな村長一家のかなしみの中で、ヘルガとロジェーとの愛が深まってゆくわけです。
 
 しかしロジェーは、フランス人捕虜の仲間に促されてトラックに乗り込み故国フランスに帰ることになってしまう。解放されたパリでは、ジャンが新聞社の社長になっていました。彼は、占領下にドイツのゲシュタポの司令官の情婦であったフィアンセと、結婚すべきかどうか、わずかの時間とはいえ逡巡します。彼女は置手紙を残してパリを去ってしまう。ジャンの見送りを受けて、ロジェーはラインの仮橋をひとりドイツの方へ渡って行くのです。
 
 私は、長い橋を渡って行くシャルル・アズナブールのロジェーのうしろ姿に、白状すればまいってしまったのです。これほど人生の深い真実を背中に感じさせる映画は、そう多くはないでしょう。橋というものが、これほど人生の屈辱や祈りの舞台として、重い意味をもった作品も見あたらないでしょう。

「身をえうなき物に思ひなして」東国へ下った昔男が流離の感情を「から衣きつつなれにしつましあればはるばるきぬる旅をしぞ思ふ」と詠んだのは、三河の「橋を八つわたせる」八橋の地においてであったことを思い出せる。三島由紀夫の『橋づくし』の藝者の七つの橋を黙って渡りきろうとするあそびの中にある真剣さも、橋をめぐる印象として思い浮かべられる。それらの文藝作品にみられるみやびやあそびもなるほど一つの世界でしょう。
 
 しかし、私はカイヤットの『ラインの仮橋』の世界を愛します。橋がまさに橋として、人生に関わっているのは、この作品の方でしょう。橋とはなんであろうか? ひとはどうして橋を架けるのか? むろん現実の橋は、昔話の『大工どん』のように、水嵩の多い川を村人が渡れるようにしなければならぬ必要から、つくるものでしょう。
 
 文藝や映画の作品の舞台となる橋は、ひとつの比喩として考えるべきでしょう。ロジェーが渡ってゆく仮橋は、フランスとドイツとが理解しあえるか、ひとりの男とひとりの女とが同じかなしみをかなしみあえるか、という問い、そしてそうあって欲しいという願望が象徴されたものとしてあるのです。ジンメルが述べるように、「この分割されたものの結合をたんに実生活においてその実用的な目的を満たすためにおこなうばかりでなく、それを直接直観に訴えるかたちで具象化することによって、橋は美的評価の対象となる」(白水社版『ジンメル著作集12「橋と扉」』熊沢義宣訳)わけです。分離されているものを結合し、統一を与えたいという人間のかなわぬかもしれない願いや祈りが結晶化しているから美しいのです。
 
 その外観の美しさに当然にも、風土的違いがあることを指摘したのは、保田與重郎の『日本の橋』でした。

「……日本の橋の自然と人工との関係を思ふとき、人工さへもほのかにし、努めて自然の相たらしめようとした、そのへだてにあった果無い反省と徒労な自虐の淡いゆきずりの代りに、蘿馬人の橋は遥かに雄大な人工のみに成立する精神である」。
 
 日本の橋は、道の延長で、自然に向う側に木が倒れてできあがったように、架かっているということです。そういわれればそんな風景の橋の記憶が、私にもあるように思えてくるから不思議です。ゴッホの『アルルのはね橋』などは、ヨーロッパの橋でも人工性を誇張した感じではないが、これは浮世絵を通して日本の橋への連想が働いたようです。異質の文化どうしの間にも橋が架かり得る例証になりましょうか。
 
 国際化の世になったといわれます。ひととひととの関係についても分離の認識が必要になって来たのでしょう。自然に橋は架かるものでもありますまい。橋などない、と決めこむのもひとつの橋なのでしょう……。
 
 フィレンツェのアルノ川に架かる橋、ポンテ・ベッキオ橋には、近頃観光客にアクセサリー類を売るためにヒッピー風の若者が集まって来るそうです。ヒッピーたちの眼差しには、どのような橋が映っているのでしょう?(『社会認識のために』1986年勁草書房・所収「橋について」) 

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ヤモリ(岩倉具視)の末裔と渉外弁護士

 8月末のまるで梅雨時のような雨続きが一段落した日、庭の隅に放置してあったバケツの水を(ボウフラが湧くとまずいので)手桶で庭に撒いていると、一瞬手桶の中にトカゲのような黒っぽい生き物が目に映ったが、すでに撒く動作に入っていたのでそのまま止まることはなかった。水中に棲息していたということだから両生類のイモリだったに違いない。飛ばしたところは、雑草多く確かめようがなかった。

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 さて9/18(土)百日紅の花が道路側にたくさん散っていて積雪の感じだったので、竹箒と小さな箒、チリトリを抱えて玄関前に降りた。作業をしていると、麦藁帽の中に妙な違和感があった。麦藁帽をとって頭を払ったところ、子供のヤモリが道路に落下、少し戸惑ってから大慌てて塀に沿って移動、しばらくしてどこかに消えてしまった。玄関に置いてある作業用の麦藁帽の中に潜んで暮らしていたらしい。ヤモリには驚かされることが多い。

news.yahoo.co.jp ヤモリ=岩倉具視は、NHK大河ドラマ『青天を衝け』では、山内圭哉が演じているが、明治の世になってからまだ登場していない。この岩倉具視の玄孫に歌手・俳優の加山雄三がいることは周知のこととして、昆孫(6代目の孫)に岩倉正和弁護士がいる。岩倉正和弁護士は、かつて第一東京弁護士会から懲戒処分を受けたこともあるが、日本を代表する渉外弁護士の一人として有名である。

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 ところで9/7に発表された司法試験合格者数は1421名で、法科大学院の修了生の受験が始まった20006年以来最少だったとのこと。この件について、久保利英明弁護士が憂慮の念を寄せている。

www.yomiuri.co.jp 中国では毎年2万人の新規法曹者を生み出し、韓国でも1600名の合格者を出しているとのことである。

……大企業に限らず、多くの中小・零細企業が国際取引に関与する機会も増えているが、大手の渉外事務所以外で国際案件を取り扱える弁護士は、ほとんどいない。また、日本は、コロナワクチンの入手で他の先進国に後れをとり、約束したはずのワクチンの入手が遅れたりしていたが、こうした点も、国際法務に精通し、行政組織の中で政策立案や交渉に携わる弁護士が圧倒的に不足していることが影響しているのではないか。……

 

TBSドラマ『プロミス・シンデレラ』最後まで観てしまった

 荒唐無稽、支離滅裂な設定と展開のドラマなのに、二階堂ふみ主演という、それだけの釣りで最後まで観てしまった。面白くはあった。

 

ひさしぶりに墓参り

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 緊急事態宣言下墓参りも〈自粛〉していたが、今日月命日と彼岸のも兼ねて、船橋中央メモリアルパークまで墓参りに行って来た。霊園も墓がだいぶ建てられつつあってほぼ満杯に近づいている。一基キリスト者の墓もあった。左右に供える花もヒマワリを追加して豪華となった。
 掃苔後はバス停留所までの景色を楽しみながら歩き、市営バスで船橋駅に戻り、駅近くの中華店栄華光でわがお気に入りの昼食、肉野菜炒めコースを注文、ゆっくりといただいた。至福の時間。
 帰宅してから夕方、菓子工房アントレのシャポー店で購入した、苺ショートケーキでお茶、再びの至福のとき。相撲中継を観れば、大関横綱3人白星の安泰の大相撲、喜ばしい。

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ストライカー:J1とブラインドサッカー

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    シュヴィルツォク(クバ)のGKを交わしてのゴールは、かつてのストイコビッチ(ピクシー)のそれを思わせた。
 ところで、8月にたまたまテレビ観戦した、パラリンピックブラインドサッカー、日本対フランス戦、プレーのレベルの高さに驚嘆した。パラリンピックについて書かれたある識者のtweetに返信という形で付記したところ、落合啓士(ポジティブおっちー)さん、15年間ブラインドサッカー日本代表全盲講演家(@occhi_7ban)という立場の方から「いいね」評価され、感動した。

▼今日のブラインドサッカー、日本対フランス戦は、勝負として見応えありました。黒田選手の1点目のゴールと5点目を狙ったシュート、それに川村選手のPKのゴールには驚きました。田中選手のディフェンスもみごと。対ブラジル戦はどうか? 8/28記

 対ブラジル戦も後半だけ観戦したが、リカルド・アウベス選手の3点目、4点目のゴールを決めた鮮やかなシュートには呆れてしまった。さすがサッカー王国ブラジル、選手層の厚さには感心するばかりであった。