人生にとって橋とは何か:(おかえり)モネ「橋を渡って来た」

 昔書いた(若書きの)エッセイ「橋について」を載せておく。

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▼橋というのは、何か悲哀を漂わせる舞台となりやすいように私は思っています。何故だかわかりません。文藝や映画の場面で、涙せずにいられぬ別れや失意が、橋の上で演じられているのが数多く記憶に残ってでもいるのでしょうか。

 といっても映画で確かに思い出せるシーンといえば、アンドレ・カイヤット監督の『ラインの仮橋』の最後のシーンのみなのですが。この映画は、私の感心した作品の一つです。
 
第二次世界大戦中のドイツのある村と、フランスのパリの都が物語の舞台です。ドイツとの戦争に応召したフランスの二人の男、シャルル・アズナブール扮する下町のパン屋ロジェーと有能なジャーナリストのジャンは、ドイツ軍の捕虜となり、ラインの軍用仮橋を渡らされて、収容所に送られます。やがて二人はある村で農夫として働くことになります。村長の美しい娘ヘルガは、男っぷりのよいジャンに夢中になるのですが、ジャンはヘルガを利用してドイツを脱走することに成功してしまう。罪を問われて逮捕されたヘルガが許されて戻ってきた村では、ロジェーが村長の息子の少年と、ドイツ語とフランス語を互いに教え合う仲になっていました。ノルマンヂー上陸作戦は成功し、パリが解放される。村長が戦死し、夫人も病死してしまう。そんな村長一家のかなしみの中で、ヘルガとロジェーとの愛が深まってゆくわけです。
 
 しかしロジェーは、フランス人捕虜の仲間に促されてトラックに乗り込み故国フランスに帰ることになってしまう。解放されたパリでは、ジャンが新聞社の社長になっていました。彼は、占領下にドイツのゲシュタポの司令官の情婦であったフィアンセと、結婚すべきかどうか、わずかの時間とはいえ逡巡します。彼女は置手紙を残してパリを去ってしまう。ジャンの見送りを受けて、ロジェーはラインの仮橋をひとりドイツの方へ渡って行くのです。
 
 私は、長い橋を渡って行くシャルル・アズナブールのロジェーのうしろ姿に、白状すればまいってしまったのです。これほど人生の深い真実を背中に感じさせる映画は、そう多くはないでしょう。橋というものが、これほど人生の屈辱や祈りの舞台として、重い意味をもった作品も見あたらないでしょう。

「身をえうなき物に思ひなして」東国へ下った昔男が流離の感情を「から衣きつつなれにしつましあればはるばるきぬる旅をしぞ思ふ」と詠んだのは、三河の「橋を八つわたせる」八橋の地においてであったことを思い出せる。三島由紀夫の『橋づくし』の藝者の七つの橋を黙って渡りきろうとするあそびの中にある真剣さも、橋をめぐる印象として思い浮かべられる。それらの文藝作品にみられるみやびやあそびもなるほど一つの世界でしょう。
 
 しかし、私はカイヤットの『ラインの仮橋』の世界を愛します。橋がまさに橋として、人生に関わっているのは、この作品の方でしょう。橋とはなんであろうか? ひとはどうして橋を架けるのか? むろん現実の橋は、昔話の『大工どん』のように、水嵩の多い川を村人が渡れるようにしなければならぬ必要から、つくるものでしょう。
 
 文藝や映画の作品の舞台となる橋は、ひとつの比喩として考えるべきでしょう。ロジェーが渡ってゆく仮橋は、フランスとドイツとが理解しあえるか、ひとりの男とひとりの女とが同じかなしみをかなしみあえるか、という問い、そしてそうあって欲しいという願望が象徴されたものとしてあるのです。ジンメルが述べるように、「この分割されたものの結合をたんに実生活においてその実用的な目的を満たすためにおこなうばかりでなく、それを直接直観に訴えるかたちで具象化することによって、橋は美的評価の対象となる」(白水社版『ジンメル著作集12「橋と扉」』熊沢義宣訳)わけです。分離されているものを結合し、統一を与えたいという人間のかなわぬかもしれない願いや祈りが結晶化しているから美しいのです。
 
 その外観の美しさに当然にも、風土的違いがあることを指摘したのは、保田與重郎の『日本の橋』でした。

「……日本の橋の自然と人工との関係を思ふとき、人工さへもほのかにし、努めて自然の相たらしめようとした、そのへだてにあった果無い反省と徒労な自虐の淡いゆきずりの代りに、蘿馬人の橋は遥かに雄大な人工のみに成立する精神である」。
 
 日本の橋は、道の延長で、自然に向う側に木が倒れてできあがったように、架かっているということです。そういわれればそんな風景の橋の記憶が、私にもあるように思えてくるから不思議です。ゴッホの『アルルのはね橋』などは、ヨーロッパの橋でも人工性を誇張した感じではないが、これは浮世絵を通して日本の橋への連想が働いたようです。異質の文化どうしの間にも橋が架かり得る例証になりましょうか。
 
 国際化の世になったといわれます。ひととひととの関係についても分離の認識が必要になって来たのでしょう。自然に橋は架かるものでもありますまい。橋などない、と決めこむのもひとつの橋なのでしょう……。
 
 フィレンツェのアルノ川に架かる橋、ポンテ・ベッキオ橋には、近頃観光客にアクセサリー類を売るためにヒッピー風の若者が集まって来るそうです。ヒッピーたちの眼差しには、どのような橋が映っているのでしょう?(『社会認識のために』1986年勁草書房・所収「橋について」) 

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