大村博美ソプラノリサイタル(9/13 横浜青葉台・フィリアホールにて)を聴く

 昨日9/13(土)横浜市青葉区民文化センターフィリアホールにて、大村博美ソプラノリサイタルを聴いた。これまでオペラの舞台は観劇していないが、NHKのニューイヤーオペラコンサートでたまたまこの人のソプラノを聴いて、とくにその高音の美しさに驚嘆、いつか生の演奏を聴いてみたいものと思っていた。フランスに滞在しているオペラ歌手なので、今回広島での(式典の)レクイエム出演を機に帰国、横浜青葉台でのリサイタルの企画となった。
 ところが開演するや司会の杉上佐智枝元日テレアナウンサーから驚く知らせ。大村さん広島のコンビニで買った食材で激しい腹痛を起こし、なんとかレクイエムは熱唱できたが(事情を知らない関係者から絶賛されたとのこと)、東京に戻ってクリニックで診てもらうと、感染性胃腸炎だったとのこと。白血球も異常に増加していて、熱も40°近くあった。1週間ほど休んでどうにか熱も下がり体調も戻ったものの、睡眠が十分とれていないので、力が出せないそうだ。
 登場した時も伴奏のピアニスト熊谷邦子さんに付き添われて痛々しかった。1曲終わるごとに用意された椅子に坐ってペットボトルの水を飲む、という形で運ばれた。前半はラヴェル作曲の「ハバネラ形式のヴォカリーズ」で始まり、これで声の調子を整えているようだった。聴衆も固唾を呑んで見守った。「鳥の歌(カタロニア民謡)」、日本の歌曲「貝殻の歌」&「落葉松」と進んだ。「落葉松」あたりでギアが入ってきた。リフレインが美しい、感動。調子が出てきたのか、椅子に坐りながらエディット・ピアフとマルセル・セルダンの燃えるような恋について語り、彼の飛行機事故による死後ピアフの創った詩を元にした「愛の讃歌」を歌った。シャンソンの名曲をソプラノ・オペラ歌手が歌う。すばらしかった。
 後半は、オペラのアリアを歌う。『マノン・レスコー』より「この柔らかなレースの中で」、もう体調どうこうは忘れさせてしまう、Brava!  『メフィストーフェレ』より「いつかの夜暗い海の底に」、『トスカ』より「歌に生き愛に生き」、『アドリアーナ・ルクヴルール』より「私は全能の創り主のしもべです」と続いて、テレビで聴いたあの美しいソプラノがあった。
 プログラム予定の『アイーダ』より「我が故郷」はカットして、海外製作DVD(2種類)にもなっている『蝶々夫人』より「ある晴れた日に」を歌った。椅子から身を起こし、体が自然に港とを見下ろす立ち方と所作になっていて、悲しみと喜びと不安を綯い交ぜにした蝶々さんの心を圧倒的な歌唱で表現したのであった。Brava!

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三島由紀夫『近代能楽集』は没後20年(1990年)の11月に観ている

 今年は三島由紀夫生誕100年没後55年にあたるということで、多彩な催し・企画を目にする。たまたま送られてきた某批評系同人誌でも「三島由紀夫特集」を企画し、小説をめぐる論考が並んでいた。こちらは三島由紀夫の小説の熱心な読者ではなく、何冊かの単行本も(直筆署名入りの『喜びの琴』など戯曲作品を除いて)市川にかつてあった古書店に買い取ってもらっている。出典は知らないが柄谷行人氏も「三島由紀夫は劇作家である」としているのは首肯できるのである。
 さて『近代能楽集』の没後20年での連続上演の企画があり、2作品ずつA〜Dプログラムが組まれ、会場、演出家もそれぞれで上演されている。そのうちAプログラム「綾の鼓」「邯鄲」、Bプログラム「卒塔婆小町」「班女」を観ている。記録しておきたい。

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生吉行和子を観たのは、ヨッシ・ヴィーラー演出『四谷怪談』(両国シアターX)

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⃝シアターX(カイ)プロデュース公演、2005年8月、両国・シアターXにて、(スイス生まれで、ドイツを拠点にした世界的演劇・オペラ演出家の)ヨッシ・ヴィーラー演出『四谷怪談』。時代を現代に設定、ひとりの女(吉行和子)が語り部となって、地下鉄ホームを舞台にした、幻想の民谷伊右衛門とお岩の物語。登場人物がみな現代のファッション、この物語の普遍性を追求している。この舞台を契機に、お梅役のともさと衣さんのファンになった。なおこの作品は、日独共同創造演劇プロジェクトとして企画され、翌年海外で上演されている。

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(皆既月食の翌日に)月やあらぬフランスは昔のフランスならぬ

 

 

 

 

山河壊れてパネルあり:反原発が日本を滅亡させる

 

テレビ朝日『朝だ!生です!旅サラダ』でルーマニアのラドゥ・スタンカ国立劇場紹介

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ラドゥスタンカ国立劇場(Teatrul Național “Radu Stanca” Sibiu)

シビウ国際演劇祭のメイン会場で、1788年に建設されたルーマニアで一番古い劇場。

  今日のテレビ朝日『旅サラダ』で佐々木蔵之介さんがゲストで出演していて、滞在していたルーマニアのシビウと、ドラキュラ伯爵のモデルとされるヴラド・ツェペシュ(ヴラド3世)の故郷として知られるシギショアラの二つの街を紹介していた。シギショアラも面白かったが、注目したのはシビウの街で、シビウ国際演劇祭のメイン会場として、演劇ファンには有名なラドゥ・スタンカ国立劇場の内部を観せてくれたこと。ここで佐々木蔵之介さんは舞台に立っていたのだ。ルーマニアは現代演劇のヨーロッパでの有力な拠点の一つである。シルヴィウ・プルカレーテ演出のここの劇団の来日公演は刺激的で魅力に満ちている。佐々木蔵之介は日本ですでに、2017年『リチャード三世』、2022年『守銭奴』をラドゥ・スタンカ劇場のシルヴィウ・プルカレーテ演出で主演で演じているのである。

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 モリエールの『守銭奴』は、1976年5/14 国立劇場にて、コメディ・フランセーズ来日公演、ジャン=ポール・ルション演出の舞台を観ている。今回(12/7)は、ルーマニアのシルヴィウ・プルカレーテ演出、佐々木蔵之介主演の舞台であった。日本人俳優によるモリエール劇。喜劇であるが、予想した乾いた爆笑の芝居であるよりも、ビニールを多用した舞台美術(ドラゴッシュ・ブハジャール)、歌舞伎のだんまりを思わせる始まりで、祝祭空間と様式美の終幕の演出に魅せられるところがあった。まるで知盛が海に消えていくように、ドケチ親父アルパゴン(佐々木蔵之介)もこの世の底に沈んでいく幕切れ、しかし人生の多くがお金というものに操られるこの世界はいつまでも続くのである。


 



「ブリッカー賞」受賞SANAAのもう一人西沢立衛設計の集合住宅(船橋アパート)

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「建築界のノーベル賞」といわれているそうな、米プリツカー賞の今年の受賞者に、妹島和世氏と西沢立衛氏の2人の日本人建築家が選ばれた、と報道されている.二人は共同運営の設計事務所で仕事をしてきて、「金沢21世紀美術館」「小笠原資料館」などの建築作品が評価されたとのことである.1995年の安藤忠雄氏以来の快挙だそうで、慶賀に値する.
  http://jp.reuters.com/article/domesticJPNews/idJPJAPAN-14554720100329
 西沢氏単独の「西沢立衛建築設計事務所」もあり、当然こちら設計の建築にも注目が必要であろう.高校のクラスメイトの、かの岸田日出刀の子息比呂志氏(現国連大学上席客員研究員)など、建築関係の人物は身近にけっこういたのだが、ブルーノ・ゼヴィの『空間としての建築』(青銅社)、栗田勇『現代の空間』(三一書房)、原広司『建築に何が可能か』(學藝書林)などをかつて読んだのみで、現代建築に関してはほとんど無知である.
 http://www.city.ichikawa.chiba.jp/shisetsu/tosyo/kyo/kishida/kishida.htm
 わが船橋の町に、西沢立衛(りゅうえい)氏設計のアパートがあることを知り、さっそく出向いた.ネットではただ「船橋アパート」と呼称されていて、所在は不明(もしくはデタラメ).住宅地に目立たず建っているので、まずはわからないだろう。居住者のことも考慮し場所は伏せておこう.「GLAN STAGE」という集合住宅名だ.じつにシンプルで、色彩も単色.ガラス窓の配置がモンドリアンの絵画でも見るような味わい.そこが周囲の建物と異質のところである.残念ながら内なる空間の構成は見られなかった.こちらにこそさらに面白さが工夫されているのだろう.興味のある人は、1Fピザ屋のビル隣というヒントでお探しあれ.

 さてこの5日(土)隣町の市川文化会館大ホールで、ジャズピアノの小曽根真と、ヴィブラフォンGary BurtonのDuoによるライブがある。チケット入手.もとよりピアノが弾けないので深くはわからないだろうが、演奏を鶴首して待つといったところである。ともあれ、近場で世界レベルの建築と音楽を堪能できることを悦びとしたい。(2010年6/1記) 

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笠松泰洋の『人魚姫』と『エレクトラ3部作』

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 9/14(水)の夜は、上野の東京文化会館小ホールにて、笠松泰洋作曲・指揮のモノオペラ『人魚姫』を鑑賞した。『音楽×空間』シリーズのVol.3にあたる。モノオペラとは、一人芝居のオペラ版のことだそうで、なるほど250歳の老人魚が、少女時代の王子との悲恋の思い出を語るという形式で舞台が成立している。坂本長利の『土佐源氏』を思わせる、物語の構造である。物語の展開は現在進行形ではないので、小説的といえるかもしれない。アンデルセンの原作をもとに、翻訳家・国際基督教大学教授の岩切正一郎がオペラ台本を書いている。笠松泰洋が、ダンサー広崎うらんの示唆もあって、人魚姫が自己犠牲の死を遂げず、王子を殺して、海の底で生きながらえる、といういわば〈残酷童話〉の物語を依頼したようである。
 グリムの『赤ずきん』に対する、シャルル・ペローのもの、森鴎外の『山椒大夫』にたいする説教節のものといったところであろうか。王子を殺す人魚姫に、笠松さんは、「ギリシア神話のセイレーンやローレライ伝説など」の「海で美しい声で歌い人間を死に誘う存在」のイメージを重ねている。『エレクトラ3部作』の悲劇作家エウリピデスは、たしか海はあまり好きでなかったそうであるから、新たな挑戦といえるかもしれない。
 モノオペラとはいえ、老人魚(=人魚姫:中嶋彰子・ソプラノ)の思い出話の聞き役(晴雅彦・バリトン)も登場し、思い出のなかの王子さまだったり、魔女だったり、その他変幻自在に演じ分ける。
 初めて聴く中嶋彰子=人魚姫のアリアには、その発散する魅力とともに陶酔させられる。晴雅彦=王子さまとの二重唱も、ここはオペラらしく、堪能できた。場の心理的転調にハープ(早川りさこ)の音が有効で、胸の高まりを導いてくれる。
 老人魚の思い出話の形式であるから、船上での王子さま殺害に至る苦悩と葛藤はあっさりと表現されている。終末の老人魚の「思い出、思い出」の悔恨を込めた呟きのほうに、深い意味を与えているようである。ひとはかつてみずからの憧憬の対象を、はるかなるものをどこかで死なせてこそ生きながらえてきたのではなかったか、とでも笠松泰洋は訴えたかったのであろうか。
 ハープのほか、石亀協子(第一ヴァイオリン)、小林玉紀(第二ヴァイオリン)、青木史子(ヴィオラ)、安田謙一郎(チェロ)の音楽も、専門的にはともかく、素人的にいえば情念のうねりを表現しすてきであった。秋山直樹&稲葉寛乃が美術協力している。狭い空間を海底にし、殺戮の船上にし、効果的であった。よい夜を過ごせた。(2011年9/16記)
デンマークの記念切手:アンデルセン「人魚姫」

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   この月になると、2003年〜2005年の毎7月に、笠松泰洋音楽監督・作曲・台本構成の『エレクトラ3部作』〈アトレウス家の崩壊と再生〉を、王子ホールで鑑賞していたことを思い出す。感動的で、夏の花火のような一瞬の華やかさを味わった記憶が鮮明である。HP記載のそれぞれの観劇記を再録し、あらためてギリシア悲劇の世界に浸ってみたい。

◆7/17(木)夜は、銀座王子ホールにて、笠松泰洋作曲・台本構成・指揮、大島早紀子演出による音楽劇、ギリシア悲劇三部作中第1話『姉イピゲネイアの犠牲』を鑑賞した。トロイアを攻めようとするギリシア軍は、千隻の軍船を動かす風を求めて、予言者の言葉に従い、将軍アガメムノンに長女イピゲネイアを生け贄として捧げることを迫った。騙されて港に呼び寄せられた母のクリュタイムネストラとイピゲネイアは、アガメムノンに助命を懇願するが、苦悩の末、父は決断する。娘は、最終的にはギリシア軍の勝利のために、自らの宿命を受け入れる。しかし、妻クリュタイムネストラは、夫を許さず復讐の炎を秘かに燃やし続ける。ここまでが、今回の物語。全部上演は三年がかりという長丁場である。
 演劇畑からは、朗読の中島朋子(トーマス・オリバー・ニーハウス演出の『時間ト部屋』を、ベニサンピットで観たばかりだ)、オペラ畑からは、ソプラノの野々下由香里(別な日は林正子)、ダンス畑からは、白河直子(H・アール・カオスの中心ダンサーだ)といったメンバー。楽器編成は、ヴァイオリン(室屋光一郎)、サズ=トルコの弦楽器(大平清)、チェロ(安田謙一郎)、ピアノ(山田武彦)、クラリネット(高子由佳)、ファゴット(藤田旬)、ベース(齋藤順)、パーカッション(萱谷亮一)。時折、古代からあるというトルコの葦笛のような素朴な楽器が、齋藤順によって吹かれる。サズも古代からの弦楽器だそうだ。古代と現代との音の共鳴が企てられているわけだ。
 朗読も、歌唱も、ダンスも、ときに将軍の、ときに娘の、ときに母の悲嘆と絶望を表現して、一瞬たりとも緊迫の時間は弛まない。とくに白河直子の踊りは素晴らしい。その細い、裸の胸はほとんど乳首しか見えない中性的身体が、撓うように自在に折れ曲がり、情念の襞を表現する。このダンスを軸としたコラボレーションの連鎖が、ついには古代を招き寄せ、時代を超越した人間の悲しみと愚かさを示すことに成功している。白河直子は、まるでいまは亡きジョルジュ・ドンが転生した人なのではないかと、思わせた一晩であった。来年の7月が愉しみである。(2003年7/20記)

◆7/16(金)夜は、銀座王子ホールにてギリシャ劇「エレクトラ3部作」〈アトレウス家の崩壊と再生〉の第2話『エレクトラ』を鑑賞した。昨年の第1話『姉イピゲネイアの犠牲』につづく作品である。作曲・台本構成・指揮は、演出家蜷川幸雄氏と共同の仕事をしてきた音楽家笠松泰洋、語りが、ギリシアでの『オイディプス王』公演から帰ったばかりの麻実れい、ソプラノ独唱が飯田みち代、ダンスがYOUYAという布陣で、アンサンブルは多分昨年と同じメンバー。コロスを欠いているので、これは、オペラの範疇に入る表現形式であろうが、語りが声の音楽性をもって歌唱とからみ合うところに特色があり、さらに情念のうねりをダンスが表現し、対等の資格で加わってくる。ソプラノはエレクトラを、ダンスはオレステスの役を演じるが、語りは、エレクトラであったり、クリュタイムネストラであったり、アイギストスであったりする。麻実れいの声は、ギリシア悲劇研究家の山形治江さんが評するように〈視覚的音楽性〉のある声で、ソプラノの歌唱と堂々とわたり合いつつ、そのときそのときの情景を眼前に彷佛とさせる力をもっている。それぞれの表現は抜群でありながら歌唱とダンスと朗読に統一が欠けていた、昨年の舞台より明らかに向上していた。ただキリスト教およびイスラム教の一神教の教説に慣れた現代、ギリシア神話の神々のまとまった意向を劇の展開の過程でイメージする困難と戸惑いを、やはり感じてしまった。(2004年7/17記)

笠松泰洋氏が、作曲・台本構成・指揮を担当した『ギリシャ劇「エレクトラ3部作〈アトレウス家の崩壊と再生〉』も今年が最終第3話、7月14日(木)銀座王子ホールにて観劇した。台本の元の物語は、第1話が『アウリスのイーピゲネイア』、第2話が、『エレクトラー』、そして今回の第3話が、『オレステース』と『タウリケーのイピゲネイアー』(いずれも岩波版『ギリシア悲劇全集』のエウリーピデースの巻3、4、5の題名からで、この台本とはカタカナ表記が異なる)である。
 ダンサーによる身体表現が、朗読・語り(今回は、篠井英介)および歌唱と火花を散らす舞台の展開は3回とも共通である。第1回がアンドロギュヌス的ダンサー白河直子(H.アール・カオス所属)、第2回がYOUYA、そして今回が、森山開次という、現在日本の現代舞踊の最前線で活躍するダンサーがソロを踊った。森山開次は踊りに入るときに、手を後ろにもっていき髪を少し前につまみ上げる動作をする。まるで橋懸かりに現われた能のシテを思わせる表現だった。格闘技の蹴りのような動きもあり、その彫刻にたとえられることもあるという身体の独特の動きに興奮させられる。オレステスのボイボス=アポローンに対する懐疑と怒りと懇願の感情が一つの身体に交錯したり、入れ替わったりしながら、大樹を貫く雷のように走った。原作では『オレステース』と『タウリケーのイピゲネイアー』どちらも「困った時の誠実な友は/船乗りが凪にあうより心づよいもの」(岩波版全集8・中務哲郎訳)とオレステスが信頼を寄せる、ピュラデスの出番が多く、この二人の友情も重要な主題になっているはずであるが、この舞台ではシンプル化して、印象を鮮明にしている。前回もエレクトラを歌ったソプラノの飯田みち代は、今回顔のメイクもギリシアびと風にして、よりオペラ的表現となっていた。
 今回も大平清が中央アジアの楽器を演奏し、中国のウイグルの音楽まで連なる音楽文化伝播の展望でこの3部作の音楽がつくられている。なるほど原作でも、コロスがこう語っているのだ。
  ご主人様、お返しの歌をうたいましょう、
  アシアーの歌を異国の響きにのせて。
  死者にはむなしい挽歌の調べを、
  ハーデースのうたうあの歌の調べ、
  讃歌とは似ても似つかぬ歌を。 —『タウリケーのイピゲネイアー』(岩波版全集7・久保田忠利訳) 
 最後の女神アテナの「さあ、風の息吹よ、アガメムノンの息子をアテナーイヘ/海上遥か送るのだ」(同訳)にあたるところの、ソプラノの飯田みち代と、バリトンの成田博之の二重唱は、絶望からの救済を歌ってあまりに美しかった。エウリピデス作品の定番である、「機械じかけの神=デウス・エクス・マキーナ」による救いに、笠松泰洋は現代の祈りを表現したのである。(2005年7/26記)