〈残酷童話〉『人魚姫』の舞台



 9/14(水)の夜は、上野の東京文化会館小ホールにて、笠松泰洋作曲・指揮のモノオペラ『人魚姫』を鑑賞した。『音楽×空間』シリーズのVol.3にあたる。モノオペラとは、一人芝居のオペラ版のことだそうで、なるほど250歳の老人魚が、少女時代の王子との悲恋の思い出を語るという形式で舞台が成立している。坂本長利の『土佐源氏』を思わせる、物語の構造である。物語の展開は現在進行形ではないので、小説的といえるかもしれない。アンデルセンの原作をもとに、翻訳家・国際基督教大学教授の岩切正一郎がオペラ台本を書いている。笠松泰洋が、ダンサー広崎うらんの示唆もあって、人魚姫が自己犠牲の死を遂げず、王子を殺して、海の底で生きながらえる、といういわば〈残酷童話〉の物語を依頼したようである。
 グリムの『赤ずきん』に対する、シャルル・ペローのもの、森鴎外の『山椒大夫』にたいする説教節のものといったところであろうか。王子を殺す人魚姫に、笠松さんは、「ギリシア神話のセイレーンやローレライ伝説など」の「海で美しい声で歌い人間を死に誘う存在」のイメージを重ねている。『エレクトラ3部作』の悲劇作家エウリピデスは、たしか海はあまり好きでなかったそうであるから、新たな挑戦といえるかもしれない。
 モノオペラとはいえ、老人魚(=人魚姫:中嶋彰子・ソプラノ)の思い出話の聞き役(晴雅彦・バリトン)も登場し、思い出のなかの王子さまだったり、魔女だったり、その他変幻自在に演じ分ける。
 初めて聴く中嶋彰子=人魚姫のアリアには、その発散する魅力とともに陶酔させられる。晴雅彦=王子さまとの二重唱も、ここはオペラらしく、堪能できた。場の心理的転調にハープ(早川りさこ)の音が有効で、胸の高まりを導いてくれる。
 老人魚の思い出話の形式であるから、船上での王子さま殺害に至る苦悩と葛藤はあっさりと表現されている。終末の老人魚の「思い出、思い出」の悔恨を込めた呟きのほうに、深い意味を与えているようである。ひとはかつてみずからの憧憬の対象を、はるかなるものをどこかで死なせてこそ生きながらえてきたのではなかったか、とでも笠松泰洋は訴えたかったのであろうか。
 ハープのほか、石亀協子(第一ヴァイオリン)、小林玉紀(第二ヴァイオリン)、青木史子(ヴィオラ)、安田謙一郎(チェロ)の音楽も、専門的にはともかく、素人的にいえば情念のうねりを表現しすてきであった。秋山直樹&稲葉寛乃が美術協力している。狭い空間を海底にし、殺戮の船上にし、効果的であった。よい夜を過ごせた。
デンマークの記念切手:アンデルセン「人魚姫」)
  http://yosukenaito.blog40.fc2.com/blog-entry-2325.html(「郵便学者のブログ」より拝借)
⦅写真(解像度20%)は、東京都台東区下町民家のエンジェルトランペット(Angel Trumpet or Angel's Trumpet=木立朝鮮朝顔)。小川匡夫氏(全日写連)撮影。⦆