シルヴィウ・プルカレーテ演出の『スカーレット・プリンセス(桜姫東文章)』

  シルヴィウ・プルカレーテ演出、ルーマニア国立ラドゥ・スタンカ劇場カンパニー来日公演の演目『スカーレット・プリンセス(桜姫東文章)』は、4世鶴屋南北作の『桜姫東文章』を原作にした舞台。愉しみである。

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 通し狂言桜姫東文章』4幕8場の舞台は、長谷寺の清玄(守田勘弥)と稚児白菊丸(坂東玉三郎)の江の島稚児ケ淵心中の場の「発端」を含む、初演以来の上演を、1962年3月観ている。2度目に観劇したのは、2021年7月オンラインで3幕目・4幕目大詰を観ている。

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人物叢書』の『鶴屋南北』(吉川弘文館)の著者古井戸秀夫氏は、浅草育ちで、開成高校早稲田大学文学部演劇科→早稲田大学文学部教授→東京大学文学部教授の経歴を経て、現在東京大学文学部名誉教授で、周知のように南北研究の泰斗(たいと)である。早稲田大学文学部出身で東京大学文学部教授になったのはこの人が嚆矢(最後かも?)である。俳優座公演の南北作『東海道四谷怪談』を観て、南北に開眼したとのこと。この舞台は、同じ浅草育ちで高校同窓のこちらも氏の何年か前に初演を観ているが、偉くなる人は違うものである。

 

 稚児白菊を見初めたのは、自久であった。稚児は「白菊と忍の里の人問わば、思い入り江の島と答えよ」という歌を残し、波の藻屑と消えた。自久も「ともに入り江の島ぞ嬉しき」と歌い、海に沈む。『桜姫東文章』の「発端」は二人が死にに行く「心中」であった。一途な白菊は、〽女子(おなご)ばかりが世の中の、妹背(いもせ✽恋人・夫婦)とやらじゃ、ありゃしょまい」と歌う唄浄るりとともに断崖から飛び下りた。死に損ねて生き残った自久は「不心中(ぶしんじゅう)」になった。「どうぞ女子に生まれきて、女夫(みようと)になりとう思いまする」と願った稚児は桜姫に転生して、清玄阿闍梨と呼ばれる高僧になった自久の前に現われるのであった。その間、17年。「自久坊白菊丸の因縁物語」に取り結んだ新しい「清玄桜姫」の誕生であった。(pp.166〜167)

 現代世界演劇の最前線、ルーマニア演劇&プルカレーテに最も精通している演劇評論家七字英輔さんは、わが高校学年同窓の(日大生産工学部で設計学を教えていた)七字祐介さんの弟さん。かつて同窓会で、いきなり祐介さんが「弟と話が合うと思うから」とケイタイで英輔さんを呼び出そうとしたことがあって慌てた。こちらは電話は大の苦手なのでうろたえていると、幸い電話が繋がらず助かった思い出がある。