仏教における悪業と不殺生戒ー清水俊史『ブッダという男』(ちくま新書)を読む

ブッダの生命観】

 それでは、ブッダの生命観とはどのようなものだったのか。結論的には、後代の上座部仏教の「解釈」のそれときわめて近似しており、次の四つの原理が背景にある。
①殺生は悪業であり、それが善業であることはあり得ない。
②五つの無間業(父・母・悟った人を殺すこと、僧団を分裂させること、ブッダの体から出血させること)を犯すと、来世の地獄堕ちが不可逆的に確定する。
③ゆえに、この五無間業以外の悪業ならば、たとえ幾万の人を殺めても、本人の努力次第では、その報いを受けずに済む。
④逆に。この五無間業を犯してしまうと、その後いくら努力しても、来世の地獄堕ちを回避できない。
 このような結論は人によっては受け入れがたいかもしれない。だが、2500年前に生きたブッダは現代人ではない。(P.50)

  なるほどかつて大量殺人鬼であったアングリマーラは五無間業を犯してはいなかったので、ブッダから出家を許され、修行に励んで悟りを得たという。また、マガダ国王アジャータサットゥは多くの征服戦争で幾千幾万もの人を殺戮したが、ブッダはそれについては武士階級としての生き方として黙認しながらも、父王を殺している、すなわち五無間業を犯しているので、在家信者としてどれだけ善業を積んでも来世の地獄堕ちは不可避で、現世での悟りは不可能としたのであった。