〈劇作家〉三島由紀夫の自決は遠い昔のこと

www.gentosha.jp

 

simmel20.hatenablog.com

simmel20.hatenablog.com

simmel20.hatenablog.com

simmel20.hatenablog.com

simmel20.hatenablog.com

simmel20.hatenablog.com

simmel20.hatenablog.com

simmel20.hatenablog.com

simmel20.hatenablog.com

【『鹿鳴館』観劇記】

◆5/10(水)夜に、劇団四季自由劇場にて、同劇団公演、三島由紀夫作・浅利慶太演出の『鹿鳴館』を観劇した。明治19年11月3日天長節の午前より夜半までの間に起こった事件を、前2幕は影山伯爵の邸内潺湲亭(せんかんてい)、後2幕は鹿鳴館大舞踏場を舞台にして描いた、「筋立ては全くのメロドラマ、セリフは全くの知的様式化、という点に狙いがある」(三島由紀夫)演劇である。4幕の前半と後半とで場所が移動しているので、完全な「三一致」の舞台にはなっていないが、明らかに西洋古典悲劇の様式に則っている。迂闊にもこの作品に接するのは今回が初めてであるが、セリフ劇としての緊張感は最後まで保たれていたといえた。

 影山伯爵夫人朝子(野村玲子)と、芸妓時代の恋人清原永之輔(広瀬明雄)とが20年ぶりに再会し、互いの誠実を賭けた約束をする。二人の間にできた息子久雄による父清原暗殺を未然に防ぐため、これまで公の場に出なかった朝子が鹿鳴館の舞踏会に出ること、いっぽうの清原は、壮士らを乱入させて鹿鳴館に集い「猿の踊り」をしている政府高官と貴婦人連に冷や水を浴びせ、「外国人に肝っ玉の据った日本人もゐるぞといふところを見せて」やる計画を中止することを互いに誓うのである。朝子には、久雄の養育をかつて清原に任せてしまった、清原には、異母兄弟たちより冷たい育て方をしたことについてそれぞれ負い目があった。久雄には、侯爵の娘顕子という恋人がいて、公爵夫人から二人の逃避行を手助けしてくれと、朝子は頼まれていた。このあたりまったくメロドラマの筋立てだ。

 浅利演出は、美しい舞台装置のなかで登場人物の動きを大仰にはさせない。あくまでも「磨き上げられたセリフが宝石の礫のように飛び交ってきらめく」(野口武彦氏)舞台が目ざされている。影山伯爵(日下武史)の謀で誤って久雄を殺してしまい、呆然と鹿鳴館を立ち去る清原を追った暗殺者飛田(血の匂いが大好きな男)のピストルの音が聞こえ、

朝子:おや、ピストルの音が。

影山:耳のせゐだよ。それとも花火だ。さうだ。打ち上げそこねたお祝ひの花火だ。

という第4幕最後のセリフまで、まさに名曲の演奏のように、連なるみごとなセリフに酔わされた。

 原作のことばにあたってこの夜の陶酔をもう一度味わってみた。とくに印象に残ったセリフは次のところか。(席は、1階3列、中央1・2列席は外してあったので、今回最前列。セリフ劇にはふさわしい場所であった。)

顕子:でもお母様、悲しい気持の人だけが、きれいな景色を眺める資格があるのではなくて? 幸福な人には景色なんか要らないんです。(第1幕)

清原:……少し大言壮語をしますよ。私には激しい夏や厳しい冬だけがふさわしいので、こんなうららかな小春日和は私には毒でしかない。だからこんな日にも私は、身を灼く夏や凍てついた冬を、自分の身内に用意しておく必要がある。自由とはさういふものだ。そしてこの小春日和にだまされて居眠りをしてゐる人たちの目をさましてやるのだ。(第2幕)

清原:私の中にはこの歳になっても、一人のどうにもならない子供が住んでゐるのです。

朝子:その子供を大切になさらなければいけませんわ。女が愛するものも、民衆が愛するものも、猛々しい立派な殿方の中のその汚れのない子供なんですわ。(第2幕)

影山:あなたは私を少しも理解していない。

朝子:理解してをります。申しませうか。あなたにとっては今夜名もない一人の若者が死んで行っただけのことなんです。何事でもありません。革命や戦争に比べたらほんの些細なことにすぎません。あしたになれば忘れておしまひになるでせう。

影山:今あなたの心が喋ってゐる。怒りと嘆きの満ち汐のなかで、あなたの心が喋ってゐる。あなたは心といふものが、自分一人にしか備わってゐないと思ってゐる。

朝子:結婚以来今はじめて、あなたは正直な私をごらんになっていらっしゃるのね。

影山:この結婚はあなたにとっては政治だったと言ふわけだね。(第4幕)

影山:ごらん。好い歳をした連中が、腹の中では莫迦莫迦しさを噛みしめながら、だんだん踊ってこちらへやって来る。鹿鳴館。かういふ欺瞞が日本人をだんだん賢くして行くんだからな。(第4幕)

夜想♯耽美』(ステュディオ・パラボリカ)の特集「三島由紀夫、死の美学」において、三島と親交のあった高橋睦郎(むつお)氏によれば、「なぜ彼が死を選ばなければならなかったかといえば、僕が思うに、生きているという実感が、どうしようもなく希薄だったからではないでしょうか。存在感の希薄さを抱えていたということです」ということである。とすれば、この作品がいよいよ魅力を放つことになるであろう。(2006年5/12記)

f:id:simmel20:20211126125251j:plainf:id:simmel20:20211126125259j:plain

f:id:simmel20:20211126125319j:plain『喜びの琴』新潮社 1964年2月初版  署名入り)

f:id:simmel20:20211126125330j:plainf:id:simmel20:20211126125340j:plain

          (『朱雀家の滅亡』河出書房 1967年10月初版