悲劇と喜劇:『ルチア』と『天国と地獄』

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 ギリシア悲劇作品の後、アリストファネスアリストパネス)の喜劇『女の平和』を観る番組の組立てでもあるまいが、NISSAY OPERAドニゼッティ作曲『ランメルモールのルチア』で涙で目を痛くしたすぐ後に、同じ日生劇場にてNISSAY OPERA提携・東京二期会オペラ劇場、オッフェンバック作曲のオペレッタ『天国と地獄』(11/24)で笑わされるのであった。
 同上演プログラム掲載の小川佐和子北海道大学准教授「歓びと哀しみのオペレッタオッフェンバックから今日まで」によれば、 

 本作は、際限のない欲望とモラルの腐敗という第二帝政期のバブル社会への過激な風刺をいわばカムフラージュするために、ギリシャ神話のパロディとしての外見を装っていた。同時にこれは、いつの世にも似たような時事的構造を見出すことのできる普遍的なパロディともなっている。価値の確立された権威や政治的な抑圧を物笑いの種とする風刺のかたちは今も昔も変わらない。ローカルな歴史性と普遍性の両方を兼ね備えているからこそ、オッフェンバック作品は現代の私たちの心をも揺り動かす。(p.32)

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  第二帝政期のナポレオンⅢ世について、鹿島茂氏の『怪帝ナポレオンⅢ世』(講談社)が断然面白い。「歓びと哀しみのオペレッタ」によれば、『天国と地獄』におけるジュピターに体現されたのは時の支配者ナポレオンⅢ世であるとのこと。


 しかし現代の法治国家においては、政治風刺はそれほど単純な問題ではない。政治権力批判の立場に立ち、そのテーマ性で作品を作っている演出家や映画監督が、権威と権力で出演者をさまざま暴力的に抑圧している場合が多く明らかになっている今日である。公権力のみに向けられた批判あるいは風刺が、必ずしも力を持ち得ない所以である。「オペレッタに正解はない。大切なのは、その舞台に立ち会った私たちが、オペレッタを享受したときの魂のゆらめきを感じ取ることだ」(小川佐和子准教授前掲解説)、なるほど。

 ユリディス役の冨平安希子(ソプラノ)は、いつも見るチラシの写真では〈濃い〉人の印象があったが、今回生舞台で観ると、じつに可愛い人であった。驚いた。

 合唱はひさしぶりにマスク着用なしでよかった。指揮は根本卓也さん。今回はカーテンコールで舞台に上がっていた。惜しみなく拍手。

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 日生劇場館内では、新型コロナ感染予防対策上食事ができないことがわかったので、今回は、JR有楽町駅から日生劇場までの経路途中にある、椿屋珈琲日比谷離れ店にてコーヒー&サンドイッチをいただいた。

 なお日生劇場地下のレストラン、春秋ツギハギはかつて観劇とは無関係の用事の折入ったことがある。懐かしく思い出した。