思想史の方法


 仲正昌樹金沢大学教授の『〈戦後思想〉入門講義・丸山眞男吉本隆明』(作品社)の『[講義]第2回丸山眞男「忠誠と反逆」を読む②』末尾の質疑応答のところで、仲正教授は、丸山眞男の思想史研究の方法について述べている。かつての「お勉強」を思い出した。思想史関連の本を読むのは愉しいことであった。
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Q2 :丸山が論文を書いた時代は、政治や思想の動向を形而下的なところから説明するのが当たり前だったのでしょうか。思想的抵抗の主体と、経済的階層や官僚制との関係がかなり重視されていると思います。最近の評論や政治思想の論文では、こういう分析の仕方をするとアウトという印象があるのですが、いかがでしょうか?
A2:つまり、思想を下部構造的なところから説明するのか、ということですね。「社会思想史」とかでは今でもそういうことをやっていると思いますが、本屋でよく見かける売れ筋の人文書ではそういう感じのものは少なくなってきましたね。そうなったごく単純な理由は、思想史と、通常の歴史学や経済史双方に通じている学者が少なくなって、インターディシプリナーなことをやりにくくなったからでしょう。
        (以下略)
Q3:丸山は自発的に蛸壺化を避けようとしてやっているのですか?
A3:そう思います。彼の論文を見ると、彼の本来の専門である、江戸時代の儒学を中心とした日本政治思想史だけでなく、西欧の自由主義系の政治思想史、西欧法制史、西欧近代史、唯物史観功利主義系の社会哲学、ウェーバーの近代化論、社会学大衆社会論など、いろんな分野の成果を踏まえながら、自分の注目している現象を総合的に捉えていく。下手な人間がやったら、単なる細かい知識の寄せ集めに終わってしまうでしょう。蛸壺に入らないのは簡単ですが、入らないまま、研究対象に対する一貫性のあるアプローチを保っていくのは非常に困難です。先ほどお話したような背景から、現在は、そういう人材が育ちにくくなっていると思います。……( pp.127~128 )
 http://www2s.biglobe.ne.jp/~mike/mizutamaruyama.htm#keisaifile(「水田洋:記憶のなかの丸山真男」)

 F.ボルケナウの『封建的世界像から市民的世界像へ』はわりあい丁寧に読んでいるが、カール・マンハイムの『イデオロギーユートピア』は途中で投げ出してしまった記憶がある。