川口マーン惠美著『復興の日本人』(Good Books)を読む


  川口マーン惠美著『復興の日本人』(Good Books)は、原発事故後今日に至るまでの福島の復興および日本のエネルギー対策について、ドイツの場合などと比較しながら、日本の問題点を具体的に指摘している。ドイツに在住し、現地福島に足を運び、メディアではあまり熱心に紹介・報道されていない、いろいろな立場の人の話を聴取してまとめているので、説得力を感じる。脱原発を宣言したドイツの電力供給の実状と環境、そして企業としての事故を起こした時の責任のとり方。原発事故の賠償金給付によって、被災地域の生活の変貌、そして地域的連帯感の崩壊のありさま。反原発運動の科学技術蔑視と長期的展望の欠落。〈正義の鉄槌〉を振りかざそうとするばかりで、事実をその都度精確に伝えようとしないマスメディアの驕りと怠慢。等々を剔抉(てっけつ)して、著者の静かな憤りと哀しみが行間に読みとれ、共感することが多かった。
◯「孫が遊びに来るまで、私たちにとって福島事故は終わらない」と語る美子さんの表情には、やり切れなさが滲み出ていた。この大自然の中で孫を遊ばせることのできない悔しさは、他人の私にさえ、痛いほど伝わってくる。
 ただ、お金のほうから見ると、仲本夫妻には、一生かかっても使い切れないほどの損害賠償が入っていた。そして、それがやっかみを生む。町で知った顔に会うと、「お宅はたくさんもらっているから」と言われて憂鬱になることがしばしばある。相手は悪気で言っているわけではないにしても、人々の思考は補償金のほうに集中してしまっている。それほど金額が多いからだ。(pp.30)
◯肝心の福島県民は、思想的に凝り固まっているわけでも、情緒に流されているわけでもなく、マスコミに影響されることもなく、すべてを現実的に見ている。彼らは部外者と違い、ここで生活していかなければならない。それは、「危険を承知で」とか、「嫌だけれど」という意味ではなく、まさに、ここが彼らの故郷であり、生活の基盤であるからだ。(p.38)
◯つまり、私の言いたいのは、日本以外の法治国家では、普通、賠償に関して感情などいっさい入らないということだ。是か非かの判断は、法律のみが指針となる。(略)
 それが良いと言っているわけでは、もちろんない。しかし、もし、福島第一原発のような事故が日本ではなくドイツで、あるいはどこかほかの欧米の国で起きていたならば、電力会社は、相応の慰謝料は支払ったかもしれないが、「加害者」という立場を一手に引き受けることだけは絶対に避けようと全力抗戦したのではないかと思うのである。(p.54)
◯(皆、冷たい水の中で亡くなった。残された者の悲しみは言語に絶する。しかも、賠償はない。もしも自分の子供が津波にさらわれたら、と想像するだけで、私は息苦しくなる。)一方、原発の事故では、放射線が原因で亡くなった人は誰もいなかった。もちろん、多くの人たちが流浪する羽目になり、精神的苦痛を負い、また、流浪の最中に亡くなってしまったお年寄がいたことは知っている。避難者の自分の家に戻れない悲しさだって、話も聞いたし、ゴーストタウンとなってしまった家並みもこの目で見たし、少しはわかっているつもりだ。
 しかし、賠償は支払われている。健康被害も出ていない。汚染食料が出回っているわけでもない。許しを乞うて、何でもする覚悟の東電の社員もいる。なのに「許さない」、「許せない」と、いまだに皆が怒っている。
 なぜだろう? これはいったい、いつまで続くのだろう? そもそも、事故の六年後に、東電の一般社員が謝りながら避難者の家の清掃をしているということ自体がおかしくはないか。(p.63)
◯「東電の社員は、本当に偉そうにしていた」と語るのは、地元の下請け会社の元社員の田中洋一氏だ。すでに十年前にリタイアしている。
「東電の社員は現場に行かないというのは、昔から有名でしたね。運転も保守もメンテナンスも、全部下請けに発注しておしまい。報告を受けるだけで、自分では見にいかない」(p.73)
◯マスコミが悲劇を仕立てたがっているという話は、震災直後からしばしば耳にした。水は十分あったのに、水の配給所の行列を撮りたいので並んでくれと頼まれたとか、帰還困難区域である「富岡町の夜ノ森公園」の満開の桜の画像で、「帰れぬ故郷」とう悲しい番組を作ったとか。(p.83)
トリチウムは摂取しても健康に被害は出ない。しかも、元々除去できないものなので、世界中の原発で、希釈したあと、そのまま海や川に流している。/2013年8月のこと、福島の原発の近くの海から、1リットル当たり4700ベクレルのトリチウムが検出されたと大騒ぎになったことがある。(略)ちなみに、胸のレントゲンを撮れば、一度に浴びるエックス線の被曝は0.05ミリシーベルトだ、繰り返すが、4700ベクレルの「トリチウム魚」を1年に60キロ食べても、被曝量は胸部レントゲンを撮ったときの10分の1だということだ。(p.92~93)
ICRP(※国際放射線防禦委員会)の科学者たちや、国際原子力機関も、1ミリシーベルトは無意味であると日本政府に勧告した。しかし、時すでに遅し。GEPRによれば、その結果、除染はほぼ無限におこなわれ、国と地域に途轍もない負担をもたらした。しかし、それはたいして役にもたたなかった。避難前に、20ミリシーベルト以上の被曝をした住民はほとんどいなかったし、本当に線量の高い危険区域は閉鎖されているので立ち入ることもない。除染をした場所は、どこもかしこも非の打ち所のないほどきれいなったが、その様子を、地元のある有力者は、「きれいな床を磨いたようなもの」と表現した。(pp.98~99)
◯日本のエネルギー事情は今も昔も、ドイツに比べて格段と厳しい。ドイツには国産の褐炭(質の悪い石炭)がまだふんだんにあって、しかも地表に露出している。天然ガスも液化という手間暇をかけずに、日本に比べればはるかに安い値段であちこちからパイプでガスのまま輸入できる。また、原油の各産地も近い。そのうえ、送電線はヨーロッパ中を縦横に走っているので、電気のやりとりも容易だ。それらすべての利点を日本は持っていない。(p.148)
◯さて、ドイツでこれほど問題が噴出しはじめているのに、日本はそれをちゃんと検証もしない。大新聞も、いまだにドイツ再エネ礼賛というおかしな記事を配信し続けているのはなぜだろう。それどころか、日本の電力会社は再び金儲けを夢見て原発を稼働させたがっているとか、未練がましくも汚くて将来性のない火力にしがみついているとか、再エネ発電者に意地悪をしているというような、現実を歪めた報道ばかりがなされている。(pp.158~159)
◯しかし何度でも言うが、日本には資源がない。だからこそ燃料リサイクルを国家の命運をかけて開発してきた。なのに、中国や一部のアメリカの勢力の主張が功を奏して、万が一、アメリカ側から与えられているこの特権(※プルトニウムを含む核燃料の製造許可)を停止されるようなことになったらどうするのか。それこそこれまで何十年もの研究も努力もすべて水の泡だ。無資源を有資源に変えるという夢は永久に絶たれてしまう。その結果、日本は明らかに弱体化するだろう。それを防ぐためにも、まずは日本国民が燃料リサイクルの必要性をしっかりと知り、おかしな濡れ衣を晴らす努力を根気よく続けなければならない。(p.194)
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Shoko Egawa:福島風評被害が続くことについて、まず一番に問うべきは「マスメディアの責任」「東京新聞自身の責任」でせう。(12/6 )

あふらん/afran「ゆづの花」が咲きますように:→内堀知事の定例記者会見でも、他の記者たちは「トリチウム水」「処理水」と表現し質問している中、NHKの記者は「汚染水」「汚染水」と言っていた。(12/12)
もりちゃん(CV:毒蝮三太夫:フクシマというカタカナ表記で「なんで漢字じゃダメなの?」という質問に対して真っ当な答えを出せた人は居ないわけ。これはヒロシマナガサキ、アベなど全部同じ。もう正直に言えばいいじゃん。「ネガティブを強調したい」って。(12/28)
Isseki Nagae/永江一石:コメント欄に放射脳ウジが湧きまくってるんだが、その中に「基準値を緩くしたから当たり前だ」とかいってんのキチガイですか?基準値は震災後に逆に非常識なくらい厳しくしたんだよ。福島県沖魚介類、基準値超えゼロ 2年連続、検査の8707点(福島民友新聞)(12/30)

 http://fukushima.factcheck.site/article/1218
 http://synodos.jp/society/20846/
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171230-00010005-minyu-l07
 【GEPR】「1ミリシーベルトの神話」が風評被害を生む | アゴラ 言論プラットフォーム