「文化人」という言葉をめぐっては、丸山眞男の講演「近代日本の知識人」(1977年6/2)での考察がさすがにみごとである。以下の「要旨」から引用。
http://www.gakushikai.or.jp/magazine/archives/archives_maruyama.html
(「学士会アーカイブス」)
……「文化人」とは何かと定義しようとすると非常に困難です。勿論ドイツ語のKulturmensch (教養人)という意味ではありません。確実に言えることは、こういう新しい言葉が鋳造された背景の1つは、特にテレビによって代表されるようなマス・ メディアの急激な発展であります。
第2には、戦前なら先程申したような「インテリ」のカテゴリーに入らなかったような人々、例えば、司会業者、テレビ・映画俳優、一般娯楽芸能人といったような人々の社会的地位が戦後になって急激に上昇したという社会的事情があります。後者の契機も、結局マス・メディアの発展、特にテレビによる有名性と結びついているわけで すから、「文化人」の登場というのは、いずれにせよマス・メディアとの関連なしには理解できない訳です。同時に大学教授、高校の先生、評論家、新聞記者等の間から、 テレビの時事問題の解説などにレギュラーとして出場する人々、ある場合には芸能人等と一緒に娯楽番組にさえしばしば顔を出すことで名前の売れた、いわゆるタレントの知識人が出現しました。
こうして有名芸能人の社会的地位が昇格し、他方において伝統的知識人の少なくとも一部が書斎とか職場の机から出て、芸能人に劣らないような巧妙な大衆向けの話術を駆使するようになったということ、つまり簡単に申しますと「インテリの芸能人化」と「芸能人のインテリ化」という2つの傾向が合流して、その両方を共通に括る言葉が必要になり、「文化人」という言葉が出てきたというふうに私は考えるわけです。……(※「高校の先生」は、いまは「予備校の先生」か)
下記の「反原発文化人」は、まさにこの理解の通りであろう。
http://gendai.net/articles/view/news/147664(『大集結した「細川支援」文化人 すさまじい熱気と切実な声』)
危惧の念をもって、かつ冷やかしたくもなろうというものである。
皆、金持ちで生活不安のない勝ち組老人であることが、日本のエネルギーの議論のおかしさを象徴してます。エネルギーは安く、安定的に、安全に使うのが第一義なのに
RT日刊ゲンダイ|大集結した「細川支援」文化人 すさまじい熱気と切実な声 http://t.co/hiB9WxAUQ0
— 石井孝明 (@ishiitakaaki) 2014, 2月 4
昨今の少なからぬ日本文化人は、ドイツを補陀落とする傾向があるのではないか。むろん彼の地から学ぶべきところは多いのだろうが、「脱原発」の道程が険しいことも知らされるのである。英国の原発意識調査 http://t.co/Imo1tfdZmo は4回やっていて,福島事故後の調査で,メリットがリスクを上回る(緑)と考える人がその逆(赤)より多いですね!@yogimoto @h_okumura http://t.co/7NuFZ3OPnn
— ryugo hayano (@hayano) 2014, 2月 6