アルチンボルドと自称〈アルチンボルド〉


 http://arcimboldo2017.jp/(「アルチンボルド展公式サイト」)


 巌谷國士編『澁澤龍彦空想美術館』に澁澤龍彦の「ジュゼッペ・アルチンボルド(Giuseppe Anchinboldo)・メタモルフォシス」が収められている。1527年イタリアのミラノに生まれたジュゼッペ・アルチンボルドが教会装飾の職人として出発しながら、「レオナルドのデッサンや、またフランドルの巨匠、ボッシュブリューゲルなどから多くを学び、ひそかに自分の芸を磨いて」やがて「組み合わされた顔」の評判で知れ渡るに至り、1562年フェルディナンド一世に招かれてプラーグ(※ Pragueプラハ)の宮廷に赴き、ハプスブルグの皇帝たちの趣味を大いに喜ばせることになった。「フェルディナンド一世も、マクシミリアン二世も、ルドルフ二世も、アルチンボルドの妙技に魅了された」とのこと。
……アルチンボルドの方法は、すべて一種のアレゴリイ(寓意)から成り立っており、たとえば、庭師の肖像は、庭に育成する果樹、葡萄や梨や林檎や桜んぼや、多くの花々から構成されている。また司書の肖像は、図書館の書物や、書物の埃をはらう毛房から構成されている。大膳職の肖像は、鍋や釜や各種の台所道具から構成されている。といった風であった。また春夏秋冬をあらわす「四季」の肖像は、それぞれの季節の自然物から構成されており、宇宙の「四大(エレメント)」の肖像は、地水火風に棲む動物や、各元素をあらわす物体によって構成されていた。
 当時のプラーグの町は、皇帝たちの神秘趣味を反映して、魔術師や錬金道士や天文学者占星術師が大ぜいそこに集まり、ヨーロッパで最も神秘学や科学のさかんな町となっていたが、アルチンボルドのアレゴリックな肖像画は、こうした雰囲気にまさにぴったり適合するものであった。彼の絶妙な技術が成功を博する背景には、かかる時代的、風土的な条件があったことを忘れてはなるまい。……(p.64 )
……レオナルドをはじめとするルネサンスの芸術家は、人間のデフォルマシオン(変形)に異常な興味をもった。ただ自然の解剖学的、畸形学的観察ばかりでなく、もっぱら装飾的な要素として、人間の面貌を利用し、これを拡大したり変形したりして、唐草模様で取り囲んだりすることを好んだのである。
 しかし、アルチンボルドの独創ともいうべき「組み合わされた顔」に最も近い絵画的表現は、意外にも、インドやペルシアの細密画のうちに発見される。この比較を行ったのは、すぐれた幻想美術史の研究家バルトルシャイテス氏である。
 十六.十七世紀頃のインドの細密画に、馬や駱駝や象の体躯が、まるで精巧なモザイクのように、組み合わされた人間や小動物の集合から成り立っている図がある。わたしたちは子供の頃、彩色した木製の組み木という玩具で遊んだ記憶があるが、ちょうどこれに似ている。……(pp.68~69 )

 2005年3月に東京銀座のヴァニラ画廊で、現代イタリアの異色の作家、自称〈アルチンボルド〉(当時画廊では、アンチンボルドの名称で紹介している)の個展が催されている。ヴァニラ画廊にはかつてけっこう足を運んでいたが、この個展は行きはぐってしまった。デジタル・フォトマニピュレーションという現代の手法で、闘技場でのカトリック迫害、中世の魔女裁判、教会における拷問などの場面を再構成しているようである。
 http://www.vanilla-gallery.com/archives/2005/20050307.html(「ヴァニラ画廊:アルチンボルド展『拷問の神学』」)
『ヴァニラ畫報』2005年3(MARGH )号の、パゾリーニ映画にも造詣の深いギロ狩刈氏の解説は面白い。
……ここから残虐な仕打ちを加えられるだろう白い裸身が暗い石壁を背にひっそりと浮かび上がっている。物憂げとさえ言いたくなるほどの可憐。いまだ傷一つない乙女の肌。しかし円形闘技場に沸き起こる大歓声が伝えてくる・・次はお前の番なのだ、と。処女の静謐な形姿に秘められた拷問の予感、戦慄と動揺、そして諦観。アルチンボルドは過去の巨匠たちがあえて描こうとはしなかった次元において、西洋美術の残酷描写に引き継がれてきたエロスを暴く。……
 http://www005.upp.so-net.ne.jp/guillo/pppstudy/pslntop.htm(「パゾリーニ映画鑑賞の試み〜アポロンの地獄」)