文藝誌『群系』35号届く


 こちらも会員となっている群系の会発行、批評主体の文藝誌『群系』(永野悟氏主宰)が、一昨日11/2(月)届いた。35号は、『「内向」の内実とは何だったのか、社会性がないといわれたがどのような時代性であったのか、「最後の純文学」といわれるだけに、いま論じる意義があろう』とする、いわゆる「内向の世代」の作家を特集している。この世代の作家の作品をほとんど読んでいないので、どの批評も読む気も起こらないが、巻頭の、竹内清己氏の「高度成長下の文学、あるいは無頼派、戦後派の進展」は面白く読んだ。
……もはや戦後ではない、戦後文学は幻影だった。戦後派は終焉を迎えた、そうしたことがそのつど発想され、論議された。無頼派も同様である。しかしそれらは終わっていない。七〇年や一〇〇年そこらで終わらないからだ。終わるはずはないからだ。……(p.6)
 『戦後の思想空間』(ちくま新書)の大澤真幸氏は、近代日本思想史の60年周期の循環を分析していたかと記憶するが、竹内氏は、昭和30〜50年は、「戦後10〜30年」に当たるとしている。『戦後民主主義の瞞着からの脱却、解放への反措定を意味した無頼派は、今日、未来に進展する「間歇遺伝(あたゐずむ)」の現れであった』とも書いている。
 http://www.aozora.gr.jp/cards/000933/files/13212_14465.html⦅折口信夫『異郷意識の起伏』:間歇遺伝(あたゐずむ)」⦆
 ここで竹内清己氏は、太宰治の戯曲作品『春の枯葉』について取り上げ、その「失恋の歌」は、今日の安保法制をめぐる「国会の有様」まで射程が届いていると論じている。この議論について保留すれば、こちらは、2008年東京両国のシアターΧ(カイ)で、一連の名作劇場公演の一つとして、この作品の舞台(川和孝演出)を観ている。改めて思い出したことである。
 http://www.ipad-kindle-nook.com/csn/dazai/00163.php(「『春の枯葉』ダウンロード」)




⦅写真は、東京台東区下町民家のモミジ。小川匡夫氏(全日写連)撮影。コンパクトデジカメ使用。⦆