『室生犀星研究』38輯発刊



 室生犀星学会の機関誌『室生犀星研究』第38輯が発刊された。服部芳於氏の『「虫寺抄」小考』を読む。この作品は未読であるが、論稿を読み進めるのに一向に困らないほどに、論旨明快で、作品からの引用がそれぞれ長目で豊富である。
 犀星が大の虫好きであったことは、『室生犀星文学アルバム・切なき思ひを愛す』(菁柿堂)で紹介されている、室生朝子の『杏の木』の記述でわかる。
……毎夏軽井沢の父の生活に、虫類は欠かすことの出来ない必需品であった。山のきりぎりすやすいっちょが南瓜の葉裏や背の高いから松で鳴き出すのは七月も末近くである。毎年春蝉の声を聞くためだけに、七月一日に家を開ける父は、東京から、はしりのきりぎりすを虫籠に入れ、ハンケチで包み、汽車に乗るのである。……(pp.18~19)
 「虫寺抄」の序句として芭蕉の「むざんやな甲の下のきりぎりす」を用いていて、太平洋戦争中この作品を書いた犀星は、「戦陣に倒れ、屍をさらす死者をありありとイメージし、彼らを悼む想いを籠めて序句を定めたに相違ない」と推論している。声高に訴える反戦の小説ではないとしても、「避戦」(伊藤信吉)の小説として、虫たちや、異郷の大陸のカフェで身を削るように生きている女性のいのちの哀しみに、心を寄せる分身としての主人公甚吉を描いている。犀星は、ファーブルの『昆虫記』の手法に多くを学びながらも「ファーブルが虫たちの生命感あふれる活動を描ききったのとは趣を異にして、犀星は虫の命の強さと儚さをしっかりと見つめた」のである。
 わが家の庭でも、秋になるとコオロギとカネタタキが時間をずらして音楽を奏でるが、いつの間にか聞こえなくなっている。そして来年もまたときが来れば、虫たちの鳴き声は聞こえるはずである。犀星は、作品で「どうかすると野の虫どもの遠い命のありかよりも、さういふものに熱心になって書いてたゐた自分のいのちのありかが、ひとつの問題になって時々の心に触れて来た」と書いている。大乗仏教の「一切衆生悉有仏性」の思想にも触れ、服部氏は述べている。
……足元の草むらにすだくかそけき命と、彼らが奏でる音色は、遥かいにしえより連綿と受け継がれて今に至っているのである。犀星はその神秘に胸打たれたことであろう。かえりみて我ら一人ひとりの命もまた、遠き昔からの数知れない命の襷リレーによって授けられているのである。……(p.47)
【参考】
 小林敦就実大学准教授の論文『野の時間と歴史―室生犀星「虫寺抄」をめぐって』(『人文学の正午』第4号)は、次のところでダウンロード可能。
 http://www.fragment-group.com/kanbara/diary/?page_id=350(「樹氷派:小林敦子Studies」)

室生犀星文学アルバム 切なき思ひを愛す―歿後50年記念出版

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