善光寺と浅草寺


 開帳されるのは、前立本尊と呼ばれる、ご本尊善光寺如来(一光三尊式阿弥陀如来)の模鋳(3Dコピー)である。ご本尊は絶対秘仏厨子が開帳されることはないそうである。善光寺は江戸時代何度か火災に逢い、堂宇再建のためこの本尊(コピー)を、全国の寺院をめぐる巡行(回国如来の出開帳)と、江戸・大坂・京都の寺院への出開帳で一般公開し、浄財を集めたとのことである。浅草寺日並(ひなみ)記研究会編『江戸浅草を語る』(東京書籍)の「善光寺如来の出開帳」によれば、江戸への如来の出開帳は6回あって、天明元年が回国如来の出開帳であるほかは、4回は本所回向院を宿寺(出開帳に場所を提供する寺院)とする江戸出開帳。残りの1回の出開帳が、享和3(1803)年浅草寺伝法院で催されたとある。単なる宿寺の立場を超えて、浅草寺の全山をあげて行事を盛り上げたとのこと。お上すなわち、上野の宮様の招待によるものであったからであり、それほど浄財は集まらなかったらしいが、「一般庶民は、この開帳を歓迎し、如来との結縁を待望していたことも認めねばなるまい」。

 http://www.zenkoji.jp/(「善光寺公式HP」)
 http://www1.ocn.ne.jp/~oomi/zengokaityou.htm(「元禄の善光寺御開帳」)



⦅写真は、東京台東区下町に咲く桜と花桃。小川匡夫氏(全日写連)撮影。コンパクトデジカメ使用。⦆