中村小山三(こさんざ)丈の舞台を観たのは、わかったところでは、1965(昭和45)年母のお伴で観劇した、新春大歌舞伎公演の夜の部、「良辨杉由来」(渚の方:中村勘三郎)の舞台での茶摘おのぶ役のときがはじめて。次は、1970(昭和45)年10月国立劇場公演、舟橋聖一作『関白殿下秀吉』(秀吉:中村勘三郎、千利休:中村鴈治郎、石田三成:市川猿之助)の舞台での、お茶々(淀殿)の少女時代からの友人、京極の局の役を演じたときである。いずれも目立つ役ではないので、記憶には残っていないが、舞台全体は覚えている。ご冥福を祈りたい。
『東京新聞』3/30(月)夕刊「大波小波」欄で、「歌舞伎はカブキになるのか」と題して「贔屓」氏が書いている。九代目市川團十郎および五代目尾上菊五郎など、近代になって歌舞伎は古典化しながらも、江戸時代からの「生きものとしてのエネルギー」を保持していたとして、
……その後も伝統と創造のリレーは続き、筆者の観た範囲でも、戦後歌舞伎の六代目中村歌右衛門、十七代目中村勘三郎、二代目尾上松緑たちの舞台には、近代の精神と共に濃厚な江戸の匂いがあった。かつての吉原にゆかりの役者たちもいたし、振り向けばすぐそこに江戸時代に生まれた人々がいたのである。/今の歌舞伎の大幹部たちは戦後歌舞伎の先輩に習うことで辛うじて江戸の匂いを知っている。だが二十代三十代の若手役者は完全な異邦人である。歌舞伎はカブキになるのか。……
⦅写真は、東京台東区下町民家の上姫りんご、下山吹。小川匡夫氏(全日写連)撮影。コンパクトデジカメ使用。⦆