映画『2つ目の窓』鑑賞

 https://www.youtube.com/watch?v=HpOjbvDa6bA
 http://www.futatsume-no-mado.com/(「『2つ目の窓』公式サイト」)
 6/1(日)WOWOWで午後10:00〜放映の、河瀬直美監督『2つ目の窓』を観た。「ダービー」の馬券購入で、せっかく人気薄(単勝12番人気)のマイネルフロストを3着候補として買っておくも、連軸を誤り外してしまったショック収まらず、はじめはあまり乗れなかった。それでも最後まで観てしまったのであるから、悪くない作品なのだろう。人生の真実と世の現実の一端を引き受けて若い恋人たちが抱擁し、海中を全裸(WOWOW放送ではボカシ入り却って気になる!)で泳ぐ最後のシーンは、『青い珊瑚礁』の美しさもありそれなりに感動的であるが、ヒロイン高校1年生の少女杏子(吉永淳)の母イサ(松田美由紀)の死の床での、父徹(杉本哲太)と近しい人らによる、奄美島唄など唄う看取りの儀式の場面こそ、この映画の白眉であろう。自然との相互作用のいとなみを通してのいのちの連続性をたしかめるための儀式であり、〈共同体〉の祈りでもある。海岸で少女に老人(常田富士男)が「人間はみな死ぬんだよ」と諭すところは、ヤギの屠りのいささか残酷なシーンとともに、この場面の伏線となっていて、生きることの無常をめぐる映像表現の凝縮性がみごとである。
 面白いのは、少年界人(かいと:村上虹郎)の父で、母と別れて東京で刺青師として暮らしている。遊びにきた界人に「東京は、表現を増幅してくれるところがある」というようなことを語る。ここは味がある台詞。大都会=文明=頽廃に、奄美の自然=共同性を図式的に対置した構図で作品世界を作っていない。背中に刺青を入れた父と息子が銭湯で背中を流しあう場面も、地域によっては銭湯に入れないのではと疑問も感じたが、すてきな映像である。
 東北の大震災を思わせるような、荒ぶる海の映像は予兆に満ちてすぐれている。しかし全体的には、暮らしを支えている経済生活やそこに成立している社会性についての視野がなく、あくまでも〈神話的〉なこの監督の世界が構築されているのである。


 日本映画史の文脈で顧みれば、主題的には柳町光男監督の『火まつり』の系譜に連なる作品といえよう。この映画の太地喜和子は、まぶしいほどに魅力的であった。この映画で荒ぶる自然は、山であった。