小説・古事記


 葉山修平氏の近刊『古事記ものがたり』(龍書房)の恵贈に与った。58歳の巫女稗田阿礼と、その誦習(しょうしゅう)の内容を新しいことば・表現で記録するよう(元明天皇から命じられた舎人の太安万侶との共同作業の過程を、淡々と描いている。あくまでも小説として読まれ、評価されるべきものとして書かれていることに注意したい。
 第十五「古事記完成」の最終末は、次のように結んでいる。
……読み終えた彼女は、上気した顔を上げて太安万侶にいった。
「おめでとうございます」
 すると太安万侶は立ちあがって、これも立ちあがった彼女・稗田阿礼に手をさしのべながら、
「おたがいによくやりました。ありがとうございました」といった。
 二人は手をとりあうと、黙ったまま見つめあっていたが、やがて彼女の目から涙があふれてきた。
 献上の日が三日の後に迫った午後、申の上刻のことだった。……(同書pp.242~243)

 かつて独学の『古事記』原典の勉強は愉しかった。比較神話の論考なども貪り読んだものである。いまは、神話物語のなかに原型(原形)もしくは元型を探求する知的営為には、いささか食傷気味である。神話から抉り出したものを、日本人の精神・文化の基底にある共時的構造として限定してしまう思考法には、警戒したいものである。 
 国際日本文化研究センター教授鈴木貞美氏の『戦後思想は日本を読みそこねてきた』(平凡社新書)は、近代日本思想史の再構築を試みながら、大江健三郎丸山真男吉本隆明らに代表される戦後思想における日本文化理解を批判・克服しようとしている。思想史的・精神史的課題であるはずのものが、いわば構造的・共時的な病根の如く捉えられることについての批評といえるだろうか。
……本人が欧化主義に立つか、伝統主義に立つか、また東西融合論を唱えるかどうかとは別に、みな、西洋思想を手持ちの思想で受けとめ、また説明に用いたりして、独自の思想をつくったもので、それらが対立したり、受け継がれたりしてきたのである。
 そして、そういう欧化主義にしても、伝統主義にしても、折衷や融合論にしても、その時どきの思想の流れと無縁に唱えられたわけではなかった。つまり、西洋ー対ー伝統という大きなふたつの流れがあって、それらが融合したり、分裂しあったりしてきたのではない。東西思想のふたつの流れが一体になって、その時どきにちがう顔を見せたというのでもない。……(p.62)
 日本神話から「生々発展的」な個性を指摘し、「なる」中心の日本文化論を主張した丸山真男については、「神話の編集の方法とその思想を」考えていないとし、また天皇制を支えた心性を「前近代的な共同体意識」としている点で、これを「恒常民」もしくは「庶民」に求める吉本隆明とともに、「二〇世紀の大衆社会が想定されていない」共通性があり、「大きな思想の変化を問題にしていない」と論評している。ここのところは、かつて学び思考の根のところまでしみ込んだ図式なので、少なからぬ衝撃を受ける。大正生命主義を語ったところでも、鈴木氏のスタンスは一貫している。
……それで、東洋哲学の様ざまな原理、中国の「気」や古代ギリシアやインドの哲学で呼気に由来する「プネウマ」なども、生命エネルギーで再解釈された。東洋の伝統思想が生命中心主義であるかのような説明も、この流れの中でつくられた。西洋思想のみならず自然科学とも伝統思想は融合した。だが、それには、それぞれの融合を起こすモメントと歴史的条件がかかわる。すなわち歴史性がある。それを無視して思想史は語れない。……(p.146)
⦅写真(解像度20%)は、東京台東区下町民家のシロバナハナズオウ(白花花蘇芳)とハナズオウ(花蘇芳)。小川匡夫氏(全日写連)撮影。⦆