年末恒例・吉祥寺でSCOTの芝居




 一昨日12/21(土)は、東京吉祥寺の吉祥寺シアターで、SCOT公演、鈴木忠志演出の『新釈・瞼の母』を観劇した。年の瀬にSCOTの芝居を観るのは、今回で3回目である。My年中行事となりつつあるのは悪くない。生活とはそういうものであろう。
 今回の出し物は、『新釈・瞼の母』。長谷川伸の原作は読んでいないが、別に困らない。鈴木忠志は、この原作を「定期的に上演できる作品にしたいと考え」ていて、「今回は息子を想う孤独な母の心情の方に焦点を当てている。その心情を透かして、日本人の心の在り方の一つの特性が浮き出るようにした」と述べている。あいかわらず「病院か養護施設」のようなシチュエーションの舞台設定で、それぞれの母(どちらも齊藤真紀)を訪れるダイスケ(植田大介)とニッポンジン(石川治雄)の母子関係を物語の軸にしている。演歌(男性演歌歌手)が3曲ほど流される。


……私が演歌と呼ばれる流行歌を舞台に流すのは、人間の悲しさを表現したいからではない。そこに語られている、人生や女への男の身勝手な物語り=ロマン、そのバカバカシイ想いを確認したいためだった。それに、物語が展開する場所は、サビシゲ。このバカバカシサ、サビシサは何処からやってくるのか。日本にはこの想いと光景に、自ら率先して身を浸し馴染む人たちが沢山いるのである。
 今回の新作『新釈・瞼の母』には、演歌がふんだんに流れる。一時代前に流行った、近代主義者へのイヤミのために、土着民族主義的な大衆文化をもちだしたのではない。人間はいつでも何処でも、バカバカシク、そして、サビシイ。自分を含めた人間を見つめる時の、私の心情の潜在的な一面が長谷川伸に触発されて、久しぶりに堂々と顔を出したのである。これを観たら、吉田秀和さんに再び言われるかもしれない。イイ、トシヲシテ、人間の悲しさがまだ解っていない。今度は私も、言わなければならないかもしれない。
 悲しさではなく、人間のバカバカシサの方で、カンベンしてください。その、バカバカシサが、人間の哀しいところなのですから。……(公演パンフレットp.2)
 インテリヤクザ二人(塩原充知・加藤雅治)の会話は面白かった。日本人はあるところで母子関係を断ち切って自立しなければならない、などと語らいつつ、居酒屋のお姐さん=看護婦モンロー(佐藤ジョンソンあき)に甘えている。このバカバカシサは笑わせる。
 台詞の声の出し方は、鈴木忠志演出ではお馴染みの狂言風のスタイル。人間関係の〈構造〉を表現しているのであるから、現実のものと同じである必要はない。また一人で二役を演じているわけでもなく、母はダイスケとニッポンジンの母であり、居酒屋のお姐さん=看護婦モンローであるのだ。あるいはすべては病床にある老女の妄想なのかもしれない。この重層性にとまどうと、鈴木忠志演出の舞台は拒絶反応を起こすだろう。個人的には、正味65分の上演時間、刺激的でじつに短く感じられた。
 http://d.hatena.ne.jp/simmel20/20121225/1356433077(「2012年12月のSCOT」)
 http://d.hatena.ne.jp/simmel20/20111220/1324357487(「2011年12月のSCOT」)