観劇の締めはやはりSCOT(鈴木忠志主宰)の舞台

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f:id:simmel20:20211227144818j:plain吉祥寺シアター

f:id:simmel20:20211227144745j:plain(隣のカフェでランチ&コーヒー)

 このところ諸事情により足を運べなかったが、例年クリスマス前後に、吉祥寺シアターで公演される、SCOT(鈴木忠志主宰)の演劇を観て、観劇の締めとしていたのである(大隈重信公風)。12/25(土)観劇。今回の出し物は、鈴木忠志構成・演出の『世界の果てからこんにちはⅡ』。『世界の果てからこんにちはⅠ』は観たいと願っていても、毎年夏の公演場所が富山県利賀村の利賀野外劇場なので身体的に無理であった。今回の『Ⅱ』の初演も昨年8月利賀野外劇場で催されているが、2021年版として吉祥寺シアターで上演されることとなった。
 始まると、『廃車長屋の異人さん』をシンプルにしたような廃墟と思しき場で、(ともに車椅子の)男と女がテーブル(のようなもの)を囲んで会話を始める。「ニッポンジン」という言葉に、独特の抑揚と間合いがあり、これはたしか『からたち日記由来』で聴いたせりふ回しだ。ちあきなおみの「紅い花」の音楽が流れ、歌詞をせりふとして語る。鈴木忠志は、この世は病院であり、そこで生きる人間はすべて病人という世界観で作劇・演出をしているから、この後の登場人物もみな車椅子で登場することにまったく驚かず違和感もない。そして、かつて『サド侯爵夫人第2幕』で、美空ひばりの曲を流してもいるので、昭和歌謡をぶつけてくる演出も「またきたか」といった印象のみ。男と女は、ちあきなおみの「冬隣」の曲が流れる中、その歌詞を語って、能のシテ役が地謡とともに消えるようにそれぞれ闇の中に消えて行く。

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 日本人の信念とは何か、戦後すぐの昭和の時代を背景に、あらゆる演劇の「様式の廃墟のうえに生まれるもの」(磯崎新)を模索して演劇の舞台を造型してきた鈴木忠志は、日本人の生存の様式の廃墟も見据えて、一つのメッセージを送りつつあるのか。お馴染みの演技スタイルを衝突させて、あいかわらず場面ごとの不連続の連続を作り出し、もう一つの世界を提示しようとする今度の舞台、今までの作品群の完成形態なのか、それとも出し殻を寄せ集めたものなのか、判断を留保しよう。この演出家が日本と日本人の行く末を根底的に憂いていることは伝わってきた。終演後休憩を挟んで、演劇評論家渡辺保氏との対談企画が用意されていたが、渡辺保著『演出家・鈴木忠志 その思想と作品』(岩波書店 2019年7月初版)は読んでいるので、パスして帰宅した次第。売店にて、上演台本と菅孝行著『演劇で〈世界〉を変える:鈴木忠志論』(航思社 2021年9月初版)を購入した。
鈴木忠志「惰性の洗濯」から(✼「選択」ではない)

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