B u n k a m u r aシアターコクーンではけっこう観劇している

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▼1989年に東京・渋谷に開業した「Bunkamura」は、コンサートホールや映画館などが入る渋谷の人気スポットの1つで、文化・芸術の発信拠点として年間300万人ほどが訪れます。
しかし、隣接する東急本店がことし1月に閉店し、今後、跡地の再開発が進むことから、今月10日からコンサートホールの「オーチャードホール」を除き、長期休館に入ります。
休館を前に平日最後の営業日となった7日は、地下1階にあるテラスでミニコンサートが開かれ、大勢の利用者でにぎわいを見せていました。▼

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▼9/29(金)に、東京渋谷シアター・コクーンにて、蜷川幸雄演出『オレステス』(エウリピデス原作)を観劇した。蜷川演出のギリシア悲劇作品では、かつてギリシア人女優出演の、築地本願寺境内で上演された『オイディプス』、さらに野村萬斎主演の『オイディプス王』、昨年大竹しのぶが圧倒的存在感を示した『メディア』につづき4作目の鑑賞になる。
オレステス』は、昨年夏、〈アトレウス家の崩壊と再生〉3部作の第3話公演、笠松泰洋作曲・台本構成・指揮の音楽・舞踊劇(於銀座王子ホール)を鑑賞したばかり。オレステスの苦悩と呪詛を表現した森山開次のダンスに情念を揺さぶられた記憶も残っているところ。
 オレステス藤原竜也は期待通りの舞台で、懐疑と呪詛と憤激の情念の揺れを見事に表現しきった。エレクトラ中嶋朋子もよかったが、長回しの台詞が時々聞き取れなかった。もっとも、2F最後列の一列手前の席であったためかもしれない。(軽い高所恐怖症のこちらとしては、坐っているだけでも緊張気味だったのだ。)
 ギリシアでは季節的に降るという雨を、舞台において効果的に降らせる演出が際立っていた。明らかに、人間の心のなかのくらい情念と、容赦ない神々の応報を暗示していた。蜷川幸雄演出は、これまで舞台の〈水〉に重層的な意味をもたせてきたから、さらに読み込むこともできよう。コロスの女性たちが傘をもって登場するのは、使い方こそ違えかつての鈴木忠志ギリシア悲劇にもたしかあったアイデアで、それ自体には新鮮味は感じなかった。
『タイタス・アンドロニカス』(シェイクスピア原作)演出につづいて、蜷川氏は、現代における止まない〈復讐の連鎖〉に当然のように絶望しているようで、終幕、2Fのあちこちからアメリカとイスラエル(ほかにもあったのかはわからない)の国歌・国旗を印刷したビラが投げ込まれ、花びらのように会場に散っていった。「機械じかけの神=デウス・エクス・マキーナ」による救いに、現代の祈りを表現した笠松泰洋演出との違いである。(2006年10/2記)  
    http://d.hatena.ne.jp/simmel20/20110708/1310133919笠松泰洋演出)▼

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▼さらに2002年9月にBunkamuraシアターコクーンで、ベルリナー・アンサンブル(BERLINER ENSEMBLE)公演、クラウス・パイマン(Claus Peymann)演出の『RichardⅡ』を観ている。したがって、ようやく『薔薇戦争七部作』を『HenryⅤ』を除いて、6作観劇したことになるわけである。そのことにある感慨を抱いたことであった。▼

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▼さて吉高由里子、自分が何者なのか捉えかねている不思議美少女の役で、そのまんまといえばいえる。生吉高由里子を間近で観るのは今回はじめてだが、たしかに美しい。本人自身がこの美少女役を捉えかねているような戸惑いと区別できず、いよいよ謎の印象を与えた。驚いたのは、出会ったばかりの人たちと車で移動する場面で、「おまんこだ!」と何回か叫ぶところ。もはやオワコンのフェミニズム社会学者まで舞台の蔭に登場させるとは。この若い女優に相応しいと判断された台詞であったのだろう。いやはや。終演後のカーテンコールで、吉高由里子さん、最初のときは何か放尿、元い放心したような表情を見せていた。いつかこの女優のオフィーリアを観てみたいものである。▼

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