『サド侯爵夫人(第二幕)』は観ていた

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   来年の今日11/25で、三島由紀夫自決50周年を迎える。三島由紀夫の小説単行本は、それほどの数読んでいなかったが、ずいぶん前にまとめて古本屋に売っぱらってしまった。いまわが書庫の書棚には一冊も置かれていない。昔京都の旅館に長く滞在した折、『絹と明察』を部屋でひたすら読んでいたことを懐かしく思い出す。個人的に、三島由紀夫は劇作家として評価している。その代表作が、『サド侯爵夫人』。これまでいろいろな演出の舞台を観ている。鈴木忠志主宰SCOT毎年恒例の吉祥寺シアター公演で、『サド侯爵夫人(第二幕)』を上演するとのこと、本日チケット予約受付開始、12時まで忘れていて慌ててサイトを開け調べ、日曜日外出は不本意ながら12/14(日)マチネー公演、前列2列目、しかも通路側端の席を獲得できた。

 やれやれと安堵し、2008年5月静岡で観た「静岡県舞台芸術センター(SPAC)」主催の「Shizuoka 春の芸術祭2008」での『サド侯爵夫人』についてのHP記事(2008年5/12記)を覗いてビックリした。その折「第二幕」を観ていて、それ以前上演の「第一幕」はチケット購入しながら都合で行っていなかったのだ。なぜか記憶では、「第二幕」を観ていないと刷り込まれていた。今年も台風19号が千葉を襲った時は、ドイツシャウビューネ劇場来日公演『暴力の歴史』観劇をみずから中止している。しょっちゅうあることである。しかし行けなかった公演の中身を失念したのははじめてである。静岡での「第二幕」観劇記を載せて、この作品について改めて考えてみたい。12/14(日)は、今年最後の芝居見物、むろん出かけるつもりである。


◆一日小雨降り止まぬなか、一昨日は静岡まで行ってきた.「静岡県舞台芸術センター(SPAC)」主催の、「Shizuoka 春の芸術祭2008」中の2公演、「エレクトラ」と、三島由紀夫作「サド侯爵夫人・第2幕」(いずれも、鈴木忠志演出)を観るためである.場所は、新幹線静岡駅から東海道線で横浜寄りに一つ戻った、東静岡である。ここには、下北沢より広いエリア内に劇場群ともいうべき施設が建てられている.
エレクトラ」を上演した静岡芸術劇場は、駅近くの「グランシップ」内にある。この建物は、かの磯崎新(あらた)氏の設計になるそうで、巨大な船のかたちをした総合文化施設である.静岡芸術劇場の建物の中は、ロビーなど外からの光が照射し、明るい印象である.会場は広すぎず狭すぎず、落ち着いて観劇できる空間だ.舞台は、精神病院で、登場した5人のコロスが車椅子に乗って、床を叩きながら移動し、旋回する.いわば能舞台の鼓の音にあたるだろう。導入であり、劇空間への誘い込みの儀式である.滑稽に思えるのか、笑い声も起こった.むろん演出に遊び心もあった.エレクトラ以外は、みな看護婦が押す車椅子に乗せられて登場する.わかることであるが、車椅子は、身体の障害ではなく、精神の疾患を暗示している.
 ロシアの「タガンカ劇場」と「SPAC」の俳優が、共演している.ロシア語の台詞は、両脇に日本語字幕が出る.字幕こそなかったが、かつて築地本願寺境内にて、蜷川幸雄が「オイディプス王」でギリシア人女優と日本の俳優とを言葉を統一せずに共演させた事例もあり、(悪所通いの)観客としては奇異に感じなかった.コロスたちは、弟オレステスの帰還を待って母クリテムネストラ(リュボフィ・セリューチナ)を殺すよう、エレクトラの復讐の意志と情念を代弁するが、演出家が意図するように、「事件」被害者の悲哀と憤怒を引き受けているようで、実はもうひとつの「事件」と血を求める現代メディア(のある部分)とダブって見えるのである.とにかく、音楽担当の、高田みどりの打楽器演奏が圧倒的であった.これを聴いただけでも、価値がある.リュボフィ・セリューチナは、正気か狂気か定かならぬところを好演、感動する.「世界は(治療者不在の)病院である」との鈴木忠志の世界観が体現されていた.

 終演後、シャトルバスで舞台芸術公園に移動.茶畑や竹林の中を歩いて、楕円堂(写真)に到着.楕円形の細長いdomeであるこの建物も磯崎新設計であるとのこと.楕円形で畳敷きのロビーの窓からは、やや霞んではいてもまわりの木々が雨に濡れて緑が鮮やかに映っていた.よいシチュエーションであった。舞台・会場は階段をいくつか降りた地下にあった.哲学者の坂部恵氏が「胎内でも太古の墓場でもあるような空間」と表現したのは、適切でその通りである.演目は、三島由紀夫作「サド侯爵夫人・第2幕」。昨年チケット予約購入しながら体調不良で観劇できなかった、第1幕につづく試行的舞台である.狂言回しのような語り手の男が奥に坐っていたことには、驚いた.この作品は女だけの劇として知られるからだ.しかも演じるのが男優で、バック音楽に美空ひばりの歌が流されたのにも驚いた.鈴木演出が、美空ひばりの歌を流すのは2度目、よほど気に入っているようだ.しかし不思議と違和感はなかった.この作品の日本公演の舞台については、イングマル・ベルイマン演出の舞台を含め多くを観ていて、いずれ論じたいので、いまは記さない.面白かった。公演ごとに工夫・改良しているらしい。
 感心したことが、この中身200pを越す「春の芸術祭2008」公演パンフレットの代金がなんと200円だったということだ.受付で1000円出したら、おつりがあるというので驚いたことだった.近年、公演パンフレットおよび美術展の目録などは高価な傾向がある.小泉純一郎のような人にのみ(?)開かれるオペラのことはとにかく、文化・藝術を真に愛する人の少なからずは「格差社会」の「上」にいないだろう.ありがたいことだ。創造の志を理解する静岡県の多くの企業・団体の支援(mecenat)の賜物であろう。名前だけで使わず、力のある俳優を鍛え出演させているためだろう、チケット料金も安い.交通の利便性をアップしてさらに利用しやすくしてほしいものだ.
 1980年代に京王線代田橋の小劇場でベケット劇を観ていた精神科医岩波明氏が書いている.
『十年あまり後ロンドンに滞在中、ウェストエンドの劇場でいくつかの舞台を見る機会があった.こうした演劇は豪華な演出で役者陣も魅力的だったことは言うまでもない.しかし芝居そのものの魅力という点では、代田橋ベケットや十条の映画館を劇場にした斜光社の解散公演は、決して劣ってはいなかった./英国では俳優が職業として認知され、失業保険も長く給付されるという。これによって演劇を目指す若者はオフウェストエンドなどの小劇場で腕を磨く余裕も持てた./当時の英国は不況のどん底にあったが、こうした「助成」はやめなかった。文化を育てるという点からは、見習うべきなのかもしれない.(「東京新聞」4/14 号 )』(2008年5/12記)

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