藤圭子の逝去を悼む

 
 歌手の藤圭子さんが亡くなったとのこと。かつて熱心に聴いていた者として冥福を祈りたい。

 パリ在住の現代音楽作曲家の吉田進氏は『パリからの演歌熱愛書簡』(TBSブリタニカ:1995年11月初版)で、藤圭子について論じている。好きな曲として「彼女の音楽性が自然に活かされている曲」との「生きているだけの女」をあげている。
……《生きているだけの女》における藤圭子の歌唱は、芸術のこうした「型」の完成に伴う、危険きわまりないバランスの上に成立している。
 歌詞に隠されているヒロインの屈折した複雑な心理や感情を掘り起こすことにかけて、この人は実にうまい。「馬鹿な女さ」というくだりが三回出てくるが、曲全体の要になるこの言葉を、藤圭子は決して同じようには繰り返さない。
 レコードに耳を澄ましてみよう。一回目は、「さ」の長く延びた音の末尾が、急に衰えて枯れた声に変化し、女の寂しい心持ちを、ふと覗かせる。二回目は表現の起伏に乏しいが、かえって、萎えて弱くなった女の心を表わしているかのようだ。そして三回目は、対照的に感情が昂(たかぶ)り、いかにも自嘲的な開き直りが感じられる。「さ」の音を太い声で歌っているのは、こういう効果をもたらしている。同じメロディーの、同じ歌詞の部分を、このように三通りも歌い分けるのは、並大抵の技ではない。……(同書pp.62~63)
 吉田進氏は、藤圭子の最高傑作の一つとして「女のブルース」(作詞・石坂まさを:作曲・猪俣公章)をあげ、「人はこの歌に、失ったものの大きさを知って、涙に頬を濡らすことができる」と述べている。合掌。