こじはるの下着:ジョン・カセールの下着


 https://www.youtube.com/watch?v=CdSPAZ5WTWk(「AKB48 小嶋陽菜 CM 【こじはるピーチジョンCM集】」)
 ピーチ・ジョンのCM、前回のブラックに続いて今回のこじはるは、ラベンダー色のランジェリーで登場。挑発的で魅せられる。

 かつて『is』(ポーラ文化研究所:37号・1987年)の「特集・明るい下着」で、美術史家の高橋裕子氏が書いている。
……十九世紀の後半は、娼婦たちがわが世の春を謳歌した時代だった。クールベより少し後の世代に属するマネ、ドガ、トゥルーズ=ロートレックらも娼婦を描いた印象的な作品を残している。これらの絵では、女たちはたいてい下着姿である。下着は娼婦の作業服のようなものだから、これは当然といえば当然である。むしろ、下着で描かれていることにより、見る者はその女性を娼婦として認識すると言うべきかもしれない。(略)
 しかしながら、この頃から今世紀(※20世紀)初頭にかけて、ここに見るように女性の下着が飛躍的に洗練され、複雑化したばかりでなく、こうした華やかな下着が良家の婦人たちにも用いられるようになる。それまでは、堅気の女性というものは外観をどれほど美しく装うにしても、下着は簡素で地味なものを身に付けるのが不文律だったが、この時代、既婚婦人に限り、娼婦たちにもひけをとらないほどのお洒落な下着を着ることが認められるようになったのだ。……(同書p.30)
 してみると、こじはるの下着姿の挑発性とは健康的な娼婦性とでもいえようか。

 ところで絵画のなかの下着のモデル(あるいはモデルの下着)といえば、アラブ系移民の息子でアメリカ出身、ハイパーリアリズムの画家ジョン・カセール(John Kacere)を思い起こす。この画家は、女性の下着姿の下半身のみを執拗に描きつづけている(1999年没)。手許に、芸文社発行の画集『KACERE』がある。あらためて捲りかえしてみた。画集の監修者でもある伴田良輔氏がコラムを書いている。
……色彩は光の中のものである。完全な闇の中では、再び触感が主役になる。やがてこの部屋にも夜が訪れ、彼女たちが部屋のあかりを消す瞬間がくるのだろうか。あるいはそのあかりを消すのは、別の人物の手かもしれない。われわれはそれでもまだこの部屋を覗いていたいと思うにちがいない。
 カセールの描く女たちは、色彩と触覚のえもいわれぬ均衡の中で、いったい誰を誘惑しているのだろう。ランジェリーをまとった彼女の腰のその曲線は、何を誰のために主張しているのか。
 おそらく、カセール自身、そのことを問い続けながら描いてきたのだろう。人間の女性の肉体が進化のプロセスで獲得した曲線と陰影、そして人間が獲得した究極の衣服であるランジェリー。ふたつが融合して出現させる鮮やかな美のフォルムに、この少年のような瞳をした画家は、驚くほど生き生きとした興味をいまも注ぎ続けている。……

 http://ameblo.jp/kanouseisaku/entry-10354055297.html(「叶精作ブログ『ジョン・カセールの描く女性ランジェリーの凄さ』」)