十七代目中村勘三郎は、観ている 

 十八代目中村勘三郎丈が逝去とのこと、ご冥福を祈りたい。
 じつは十八代目の舞台は観ていない。中村勘三郎といったら、個人的には十七代目のことである。もっとも生の舞台を観たのは2回ほどで、通ぶったことなど何も語れない。ただイメージとしてはそういうことである。
 一つは女形で、1965(昭和40)年1月の「寿新春大歌舞伎」公演夜の部の『良辨杉由来』の舞台。渚の方(水無瀬後室)を勘三郎が、良辨を尾上梅幸(七代目)が演じている。二人が東大寺二月堂で実の親子と気がつくまでのじれったさに、参った記憶がある。これはそういう芝居であるからとうぜんではあった。 

 もう一つは立役の舞台で、1970(昭和40)年10月の国立劇場「十月歌舞伎」公演、舟橋聖一作『関白殿下秀吉』の六幕十二場通し。秀吉を勘三郎石田三成市川猿之助(三代目)、千利休中村鴈治郎(二代目)、淀殿(お茶々)を中村雀右衛門が、それぞれ演じている。国立劇場の歌舞伎公演は、いつも通し狂言であった。このときの観劇で、十七代目勘三郎の印象が強く残ったわけである。秀吉の「最盛期」を演じた勘三郎丈は、同公演筋書で述べている。
……しかし好事魔多しと申しますが、この時期の秀吉にはまた、公私共に多くの事件がありすぎたと思います。利休との事もその一つだと思います。私はそうした秀吉の「勝利者の孤独」といった複雑さをだしたいと思います。……