人生の折り返し


 人生にも折り返し点があるとしても、マラソンコースのそれとは異なり、そこからの「還り」の走り方=歩き方は「往き」とは変わるべきなのだろう。読み始めてすぐ「あ、これは仏教(釈尊の教え)だな」と気づかせる、中村仁一氏の『大往生したけりゃ医療とかかわるな』(幻冬社新書)で、面白いのは、自然死の実体について解説したところである。すなわち「餓死」であり、「飢餓」と「脱水」の二つのことである。「飢餓」状態では、脳内にモルヒネ様物質が分泌され、「いい気持ちになって、幸せムードに満たされる」し、「脱水」状態では、「血液が濃く煮詰まることで、意識レベルが下がって、ぼんやりした状態に」なるとのことである。また、死に際には呼吸状態が悪くなり、「酸欠」と「炭酸ガスが体内に溜まる」ことになるが、「酸欠」状態では脳内にモルヒネ様物質が分泌され、炭酸ガスには麻酔作用があり、「死の苦しみを防いで」くれるとのことである。「年寄りの〈老衰死〉には、このような特権が与えられているのです」。
……「還り」の人生においては、いやでも「老」「病」「死」と向き合わなければなりません。
 基本的には、「老い」には寄り添ってこだわらず、「病」には連れ添ってとらわれず、「健康」には振り回されず、「死」には妙にあらがわず、医療は限定利用を心がけることが大切です。
 生きものとしての賞味期限の切れた後の重要な役割は、「老いる姿」「死にゆく姿」をあるがまま後続者に「見せる」「残す」「伝える」ことにあります。
 また、自分の都合で勝手に生きているのではなく、諸々のおかげを蒙って生かされていることに気づき、その「縁」を大切にするように心がけましょう。……(同書p.169)

大往生したけりゃ医療とかかわるな (幻冬舎新書)

大往生したけりゃ医療とかかわるな (幻冬舎新書)

⦅写真(解像度20%)は、東京台東区下町民家の上チューリップ、下シンビジウム(シンビジューム)「Nuti Yellow(命の黄色)」。小川匡夫氏(全日写連)撮影。⦆