W玄:山本玄峰と田中清玄

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 わが所蔵の掛軸「萬古清風」を揮毫した、静岡県三島市龍澤寺の山本玄峰老師の膝下(しっか)で修行したとの田中清玄著『田中清玄自伝』(文藝春秋)を読む。ジャーナリスト大須賀瑞夫氏の(2年間にわたる)インタビューに応える展開でまとめられた本である。
『……それにしても田中さんに対する世間の評価は、これまで右翼、怪物、黒幕、フィクサーとあまり芳しくありませんでしたが。
 いいんじゃないですか。私はこれまでマスコミなんかがあれこれ書いてきたことについて、一言も弁解めいたことは申しませんでした。弁解なんかする必要は何もない。言いたい人は勝手に言ったらいい。何を書かれても動じません。』
 独り語りとはいえ昭和政治史の裏面あるいは現実の一面を知ることができ、考えさせられた。オットー・フォン・ハプスブルク大公、シェイクザイドアラ首長国連邦初代大統領、スハルトインドネシア大統領ら大物政治家と親交があり、フリードリッヒ・フォン・ハイエク教授のスウェーデン国立銀行賞(ノーベル経済学賞)の受賞パーティに、日本人として唯一招かれたなどの、世界的広がりでの人脈には驚かされる。ロイズ保険機構およびモンペルラン・ソサイエティーの会員であったということは、たいへんなブランド性を証すことらしい。国内では、山口組3代目田岡一雄組長とも通じていたそうで、「ナチに対する最大のレジスタンスをやった人物」というジャック・ボーメールのことを評して、「田岡さんにテロリストの要素が加わったような感じかな」と述べている。時代の激動とわたりあった波瀾万丈の生涯についてむろん読ませるが、随所に挿入される出会った各界の人物月旦(げったん)のところが面白い。「尊敬している右翼というのは」橘孝三郎さんと三上卓君、「二人しかおりません」と述べている。また三島由紀夫については、田中邸に「紺色の袴に稽古着を着け、太刀と竹刀を持って寄ったことがある」が、「不愉快な感じがした」と。「これは切り込みか果たし合いの姿ですからね。人の家を訪ねる姿ではありませんよ」。会津藩家老を祖にもち武道に通じたホンモノのサムライに見抜かれたといえよう。
 玄峰老師とは、治安維持法違反で逮捕され東京小菅刑務所に収監されていたとき講話に訪れたことが縁となって、出所後龍澤寺に入山修行したとのことである。老師は、女は寺に入れないという因習がありながら「女も男も同じ人間じゃから」と、結婚したばかりの夫人まで境内の庵に住まわせ、修行に参加させてくれたという。老師は、渋々引き受けた妙心寺派総本山の京都妙心寺管長の職を、請われながらも約束通りたった1年で辞退したという。
 開戦の知らせを聞いて、「軍は気違いじゃ。気違いが走るときは、普通人も走る。日本の軍という気違いが、刃物をもって振り回している」と、玄峰老師が喝破したエピソードにも感動するが、財界人についての師弟の見解にも大きく肯ける。
『……財界人にも知性や教養や見識が必要だということでしょうか。
 そうです。私がお付き合いいただいた財界人たちは、財界人であること以前に、いずれもまず、人間としてたいへん立派な人格者であり、また豊かな知性と優れた見識を持つ知識人でした。金を儲けさえすればよしとする昨今のエセ財界人とは全然違います。玄峰老師が生前、こう言われたことがあります。
「君子、財を愛す。これを集むるに道あり。これを散じるに道あり」』
 http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1112.html松岡正剛「千夜千冊」)
 http://www.marino.ne.jp/~rendaico/kuromakuron/genpo.htm(「山本玄峰」)

田中清玄自伝 (ちくま文庫)

田中清玄自伝 (ちくま文庫)

⦅写真(解像度20%)は、東京台東区下町民家のチューリップ。小川匡夫氏(全日写連)撮影。⦆