またぞろ「オクシデンタリズム(西洋嫌い)」


 I.ブルマ&A.マルガリート共著・堀田江理訳『反西洋思想』(新潮新書)は、近代以降の西洋文明の優勢の過程で生まれた「オクシデンタリズム(西洋嫌い)」の思潮と運動を、その論理構成と感情の両面において広い視野で捉えている。ともすれば日本の近代化=西洋化の過程で直面した問題と、その克服のための思想的営為を特殊日本的なものと考える傾向があるが、この書の考察を知れば、歴史の異なる地域性を越えて、共通性があることに驚かされる。ここでの「西洋」とは「東洋」と明確に区別されうる地域的・文化圏的実体であるのではなく、あくまでも憎悪の表象としての「西洋」であり、思想そのものは、むしろロシアや日本の「オクシデンタリズム」に大きな影響を及ぼしたドイツロマン主義のように、むしろ西洋地域で誕生しているのである。
オクシデンタリズム」の憎悪と攻撃の象徴的標的は、「都市」であったようだ。普遍的システムとしての商業を生んだ西洋の大都市こそ、伝統の破壊、物神崇拝という偶像崇拝、拝金主義、打算と効率万能、性的放縦、共同性の喪失といった負の要素の充満した空間および生活として捉えられたのだ。かつてのパリであり、ロンドンであり、サンクトペテルブルクであり、上海であり、プノンペンであり、カブールである。
 昔ある勉強会で、京都学派の高山岩男氏の講演を聴いたことがある。「アダム・スミスは、近代社会は、互いにmerchant=商人である社会であると述べております。これが近代の本質でありましょう。カントの哲学に学んで、この西洋近代を超えなければならないのであります」といった趣旨の話であったと、記憶している。この書を読んで、このときの話を思い出す。日本における「近代の超克」論議も非西洋地域にみられる「オクシデンタリズム」の歴史的一例として、より広い視野から捉え返される必要があるだろう。
 日本の特攻隊志願兵についても、散る桜=散華の美学や武士道の伝統にその思想的支えを見るよりも、この著者らが西洋哲学の影響を指摘しているところは、なかなか面白い。
……これらの若者は愛国的で、理想高く、軍国主義プロパガンダに対してしばしば警戒的だった。西洋資本主義や帝国主義はもちろん敵視していたが、皮肉にも彼らの究極の犠牲(そして理想)は、しばしば西洋の観念によって正当化され、明確に表現されていた。彼らはいわば、西洋に西洋を刃向かわせたのだ。その意味で、近代日本の典型的な申し子と言えよう。というのも、それこそ19世紀半ば以降の日本が常に行ってきたことだからだ。……
 このようなことは、インドにおいても起こったそうで、1920年代のヒンドゥーナショナリズムの組織RSSの主張は、個人の欲望の否定であり、ヒンドゥーの国体との同一化であった。
……同様の主張は、1920〜30年代の日本で、禅とヘーゲル哲学を融合させようと試みた哲学者たちによっても展開された。ヒンドゥーナショナリズムを「インドの伝統」と評するのは、カミカゼ戦術を日本の伝統とするのと同じくらい不合理だ。確かにインドの伝統からは何がしかを借りてきているが、それはカミカゼ戦術が日本の伝統から何がしかを借りてきているのと同じである。……
「新プラトン主義の創始者プロティノス以来の思考の二区分、「魂の思考」と「知性」を区別し、経済的成功と高度技術の開発をもたらす「知性」では、精神性や人間の苦痛についての理解が及ばないとする考え方が、オクシデンタリズムには共通してあるようだ。
……オクシデンタリズムは、理性の優位に基づいて西洋が見せつける優越感に対する苦い憤懣の表れとも言える。軍事的な帝国主義よりもさらに容赦ないのは、心の帝国主義だ。それは西洋の科学至上主義—知識を獲得する唯一の方法としての科学に対する信仰—が広まることで押しつけられた帝国主義だった。
 科学至上主義が非西洋世界の急進的な改革者たちに積極的に受け入れられたことが、土着主義者の敵意をより一層激しいものにした。イスラム原理主義者の例からもわかるように、オクシデンタリズムの直接の敵は、西洋そのものよりも自らの社会の内部にいる西洋派だからである。……

反西洋思想 (新潮新書)

反西洋思想 (新潮新書)

⦅写真(解像度20%)は、東京台東区下町民家の、上プリムラ・オブコニカ(Primula obconica)、下日本水仙。小川匡夫氏(全日写連)撮影。⦆