(ホットケーキは)おいしいー!


 
 10/3(月)日本橋人形町の「女流落語会」に出かける途中腹ごしらえに、「イオン」店内にある「珈琲館」で、ホットケーキを食べた。この「珈琲館」は、京都本能寺近くの「スマート珈琲店」とともに、コーヒーとホットケーキを一緒に注文して満足できる喫茶店である。食べて必ず「おいしいー!」の一言。
 http://tabitano.main.jp/7smartcoffe.html(京都「スマート珈琲店」)
 ところで、この「おいしいー!」だけで、書けば日本語の文章は成立しているのだ。つまり構文上の主語が省略されているわけではなく、そのままで成り立っているということだ。カナダのモントリオールで日本語を教える金谷武洋(たけひろ)モントリオール大学東アジア研究所日本語科科長の『日本語に主語はいらない』(講談社選書メチエ)では、フランスの言語学者アンドレ・マルチネの、主語の定義を紹介している。
……主語は、他の言語学的事実と同じで、その(具体的)振る舞いにおいてのみ定義づけられるものだ。もし命令文、省略文以外で、ある要素が述語と不可分に現れるなら、それは主語である。この不可分性を持たないものは主語ではない。それは形(例えば語幹)や文中の位置がどうであれ、他の補語と同じく一つの補語にすぎない。……
 この定義を前提に、「おいしいー!」は、主語などなくとも立派に一つの文章であると、金谷氏は説いている。なるほど納得できる。
……一見それに相当すると思われる英語goodやフランス語bonなどは形容詞という「単語」にすぎないが「おいしい」は違う。こちらは、それだけで「文」なのである。文だからこそ「おいしくない・おいしかった・おいしくなかった」と過去にも否定にも変化できるのだ。これらが、日本語の基本文の一つに形容詞文を加える根拠である。……
 ところがgoodやbonは、主語が決まらない限りbe動詞が変化できないという「一身上の都合」があるのだ。無理に日本語の文に主語を見つけようとすることは、「時代錯誤、アナクロニズム脱亜入欧的思考である。21世紀、もはや鹿鳴館ではないのだ」。
 ある社会の文化や世界観が言語に反映されるという見方を逆にしたのが、「サピア・ウォーフの仮説」で、「一言にまとめるなら、我々は母国語というフィルターを通して世界を認識する、という主張だ」。日英バイリンガルの子どもが、日本語で話すときと英語で話すときとでは、自己主張の態度に違いが見られるような経験で、その部分的な真実が実感されるが、あくまでも仮説であろうとしている。同感である。言語の研究者ならともかく、あまりに日本語の文法に深入りしすぎることもあるまい。
 かつてロシア外交の最前線で活動していた佐藤優氏は、『暴走する国家・恐慌化する世界』(副島隆彦×佐藤優日本文芸社)で、「所有」をめぐるロシア人の「言語」感覚について述べている。
『佐藤:ロシア人は「所有」に関して独特の感覚があります。ロシア人は所有の概念であるhaveという動詞を使いません。 by me(私のそば)と表現します。「私のそばにある」ということが「持つ」ということなのです。「所有」の概念が希薄だから「占有」なのです。
 だから、北方領土問題では、ロシア人の所有感覚を理解していれば取り返せる可能性があります。ロシアは占有していれば安心で、所有しなくてもいいのです。逆に言えば、この感覚をつかんでおかないと、日本はロシアと勝負できません。』
 佐藤氏の指摘について具体的なイメージを伴って理解できないところがあるが、「言語」感覚を通して、世界認識のズレを自覚することの重要性を知らされる。

日本語に主語はいらない (講談社選書メチエ)

日本語に主語はいらない (講談社選書メチエ)

⦅写真(解像度20%)は、上千葉県九十九里のススキ野、下東京台東区下町民家の(葉焼けした)アザレア(Azalea:西洋ツツジ)。小川匡夫氏(全日写連)撮影。⦆