女流落語の会

 
 昨晩10/24 (月)は、東京日本橋人形町の「日本橋社会教育会館」で、女流落語の会『第3回 Woman’s落語会(サンケイリビング新聞社主催・企画)』を聴いて来た。落語研究会の方々とのおつき合いである。場所は、谷崎潤一郎生誕の場所と近いところにあり、もともとは日本橋小学校の敷地に建っている。参加者の一人F氏は、奇しくもそこの小学校の出身である。
 さて女流の落語であるが、立川志らく師匠が、「彼女たちを否定するつもりは毛頭ないが、言えることは、落語は女性には向いていない。何故か? 答えは簡単である。落語は全て男の目から見た世界だからだ」(『全身落語家読本』新潮選書)と述べているのに同感で、寄席でついでに聴く機会はあっても、積極的に女流落語会を聴く意欲はなかった。今回(昨日は都合により欠席の)会長の企画に乗っての参加ではあった。
 女流落語会といっても、三遊亭白鳥師匠のプロデュースによるもので、新作の「女泥棒」、「シンデレラ伝説」はむろん、古典の「野ざらし」も女性の視点で構成あるいは再構成されている。白鳥師匠自身も進行役のほか、「ねずみ」を演じている。
 柳亭こみち「女泥棒」はまずまず。女泥棒修行にはいる娘は大店のお嬢さまといった難しいところが、演じきれていない。三遊亭白鳥「ねずみ」は,左甚五郎もので、舞台が仙台。名物「萩の月」を「(お)はぎの次」としたオチに工夫がある。あざといともいえようが、リズムと勢いがあり、さすがに面白かった。
 仲入りのあと、林家ぼたんの「シンデレラ伝説」。噺そのものはつまらないが、この人はリズムよく、声にも張りがあり楽しめる。別な出し物で聴いてみたいものだ。川柳つくし「野ざらし」は、女を主人公にして噺を組み立てたもの。「骨まで愛して」の歌は、古い。リズムも悪い。もっと磨いて、面白くしてほしい。
 志らく師匠の言葉を借りれば、「女流落語家さん、我々を降参させるほどうまくなっておくんなさいまし」(同書)という、全体的な印象であった。

 終了後Fさんの案内にて近くの居酒屋Hで、飲み会。一人帰って、参加は9名。飲みまくり、食べまくり、論じまくりして時計は11時を過ぎてしまった。隣の個室に、ぼたんさん、つくしさんたちがいるのを発見。個室の前に立ち、「ぼたんさんは、よかったですよ」としつこく声をかけると、「ありがとうございます、お名前は?」「こいつは〜というの」と、I氏が教え、「では〜さん、またぜひ」とぼたんさん。
 ひさしぶりに終電少し前の総武線快速に飛び乗って帰宅。落語な一日ではあった。

全身落語家読本 (新潮選書)

全身落語家読本 (新潮選書)

⦅写真(解像度20%)は、東京台東区下町民家の、上八重のサザンカ山茶花)、下クジャクアスター。小川匡夫氏(全日写連)撮影。⦆