新聞が「空気」をつくる

◆いわゆる『エヌ・エル・エフ』系の作家であったフランスのドリュ・ラ・ロシェル(1893〜1945)の『空っぽのトランク』(1924年)は、〈私〉が捉えた、青年ゴンザックの生活と行動が描かれた小説である。「二、三の文学サロンの常連」で、職業的には「ある有名なジャーナリストの秘書」を勤めるこの青年は、いくらでも恋愛を求める魅力的な女性が身近に存在するのに、成就までは運ばず、同性愛者でもなさそうで、麻薬に溺れているわけでもない。情熱の不在に苦悩するほどの情熱をも持ちあわせていないようだ。読み終わっても、ゴンザックの内面は依然として謎なのである。それはそれとして、さて、新聞社について面白い記述がある。杉本秀太郎氏の名訳である。
『「新聞社」というものは、いわば古い教会のようなところだ。口先ばかりの、もっともらしい祈りが、本当の祈りにすっかり取ってかわっているところである。私たちの同時代人は、日に何度かこの教会に足を運び、もう絶え果ててしまった一世界の、くすみきった聖像をひざまずいて見上げながら、ぼんやり時をつぶしている。
 ゴンザックはあのどうにもならない時間のずれを、漠然とながら感じとっていた。そして雑報を追いまわしておれば、なんとか人生にも追いつける気でいるのだった。しかし新聞の紙面は、世界を圧迫しているあの大きな沈黙の真の意味に対しても、ある犯罪の容易ならぬ真実に対しても、ひとしく閉ざされているのだ。』(中公「世界の文学52・フランス名作集」所収)

 上記の記事は、わがHP2004年4/19の記載のものである。
東京新聞」9/15紙上に、ジョン・ルース米国駐日大使へのインタビュー記事が載っていた。「福島の教訓世界学べ」の大見出しの下に縦の小見出しで、『脱原発「日本の問題」』とある。本文はこうである。
…日本は「脱原発」の世論が強まり、政府がエネルギー政策の見直しを検討している。
「日本の将来のエネルギー政策、例えば電力に占める原子力の比率を何%にするかなどは日本政府や日本国民が決めることだ。ただ、米国では、オバマ大統領は原子力が引き続き将来のエネルギーを考える上で重要な構成要因になるとの思いを強くしている。クリーンだし、石油などエネルギー資源の海外依存を減らせる。(略)」
 エネルギー比率をどうするかは、日本の問題だと述べているのである。紙面で読む限りでは、「脱原発」とは言っていない。微妙なところで、誤りともいえないにしても注意を促したい。しかし、「東京新聞」は、7/12の座談会における、湯原哲夫氏(キャノングローバル戦略研究所主幹)発言の「地域の再生計画はエネルギー基盤から。再生可能エネルギー農林水産業を活性化できる。間伐材は、石炭火力と混焼し二酸化炭素(CO2)を減らすことに寄与する。海洋エネルギー、地熱も利用できる。」「中国や米国で認可された第3・5世代は全電源喪失でも冷却できる。原子力の重要性は相変わらずあるし、再生可能エネルギーも進化し、ためられるエネルギーになっていく。技術の進歩と将来を見据えて考えることが重要だ。」など、傾聴すべき提言を載せていて、バランス感覚は喪っていない。
 
『あるいは、ある事件を面前で経験しながら、かれらは予想される新聞記事の言葉で、その状況を見たり聞いたりしている。事実、多くのひとびとにとっては、かれらがであった経験や、かれらが出席した芸術上の催しや、政治的会合は、その新聞記事を改めて読んで、はじめて現実となる。』(エーリッヒ・フロム『自由からの逃走』日高六郎訳・東京創元社
 書庫から埃にまみれた『自由からの逃走』を取り出し、赤い傍線を引いたところに眼を凝らして見ると、そこでの議論が現代日本で依然として有効なことに驚かされた。

自由からの逃走 新版

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