「中庸」としての怒り

(わが書庫の岩波『アリストテレス全集』)
 J.O.アームソン・雨宮健訳『アリストテレス倫理学入門』(岩波現代文庫)は、スリリングな知的刺激にも富みながら『ニコマコス倫理学』の読み方を方向づけてくれる書物である。むろんそんなにスラスラ読める本ではない。専門研究者なら少なからぬところは既知のことか、あるいは批判もあるのだろうが、素人には勉強になる。
 この著者は、アリストテレスの「中庸」の理論を行動の原則として理解してはならないという。それは、「優れた性格の定義の一部をなす」ものとして理解すべきであると、述べる。「優れた性格」とは、「ある情動を感じた時、思慮分別の適切な指示に従って行動するような後天的性向」を意味し、さらにどのような場合が「適切」なのかについて論じたのが、「中庸」の理論ということである。
『適度の理論の幻影を完全に追い払うために強調しておきたいが、アリストテレスは、優れた性格は行動に対する中庸的性格であって、中庸的行動をとるような気質ではない、と明言している。極端な行動は状況次第では適切なものであり、優れた性格の人もこれを行う。すなわち、気性の優れた人は、些細なことについては激しく怒らず、非道な行いに対しては激怒する。それに対して、怒りっぽい人は些細なことでも過度に怒り、おとなしすぎるか、あるいは無感情な人は、最悪の暴挙に対してもほとんど怒らない。』
 つまり、「中庸の理論を、あらゆる場合に情動と行動の極端を避けるべきだという適度の理論とみなしてしまう」のは、アリストテレスの考えと異なっているということなのだ。怒るべき時は、「適切に」怒るべきだということになる。しかしメディアに誘導されて、〈怒る〉形式で自己主張するのも警戒したいところで、的を射るということは、なかなかむずかしいことである。
    http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20110810/280586/?ST=business&P=1田原総一朗氏)

アリストテレス倫理学入門 (岩波現代文庫)

アリストテレス倫理学入門 (岩波現代文庫)

⦅写真(解像度20%)は、東京台東区下町民家のトレニア・フルニエリ(Torenia fournieri=ナツスミレ)。小川匡夫氏(全日写連)撮影。⦆