篠田英明東京外国語大学総合国際学研究院教授の『集団的自衛権の思想史』(風行社)は、イスラーム研究家池内恵(さとし)氏がFacebook10/8記で、『この本が英語で書かれたら、世界の日本研究が一変するような気がする。問題は、世界にはもっとエキサイティングなテーマが多くあるので、誰もこんなローカルなお奉行様たちの間のマウンティングみたいな思想史に終始している日本戦後史を扱わないことだ。/欧米文脈で優れた業績を多く残している著者が「このテーマにかけられる時間と労力はそんなにないが、書かないといけないので書いた」といったことを随所で吐露していることに共感する』と述べている。いま熟読している。
さて驚いたのは、「国家の三要素」についての解説のところ。領土・国民・統治権(主権)から国家は成立し、これを三要素とする国家観はじつは古めかしいもので、憲法典を含めて法律上の根拠はないそうである。「憲法学者が自分たちで作り上げ、美濃部達吉以来、東大法学部第一憲法学講座の教授陣の面々が守りぬいてきた理論だ、ということ以上のものではない」。国際法の分野では1933年「モンテビデオ条約」において、国家の要件として、住民、領土、政府、他国と関係を持つ能力の四つの要件が定められている。日本では、勝手に「政府」と「他国と関係を持つ能力」を合体させたうえで「主権」と言い換えて、「四つを三つに作り替えてしまうのである」。いままで「国家の三要素」は自明のことと思っていたが、いわば憲法学者だけが知る「社会学的意味での国家」の「歴史的成立」の物語の産物で、憲法学者だけが知る「憲法の条規を超えた『不文の憲法原理』なのである」とのこと、ガラパゴス的認識に気づかされたのである。
さて「Yahooニュース」によれば、米大統領選でトランプ氏の当選確実とのこと(AP通信情報)。いよいよこの本の次の指摘が重要な論点となろう。
……「必要にして最低限の自衛権」を行使する「戦力ではない軍隊」である自衛隊が、いずれにせよ「必要にして最低限」の実力しか持っていないのは、世界最強の軍隊組織である米軍との共同作戦行動が自明の前提になっているからだ。つまり憲法九条の仕組みは、日米安保体制の奥付けがあって初めて運用可能になるのだ。換言すれば、「必要にして最低限の」個別的自衛権だけを行使しているので違憲の疑いがない自衛隊の活動は、集団的自衛権を行使して主導的に安全保障措置をとる米軍の活動と、「表」では切り離されているが、「裏」では密接不可分に結びついている。「必要にして最低限」の個別的自衛権合憲論は、日米安保条約の集団的安全保障に依存して初めて成り立ちうるような理論でしかなかった。……(pp.117~118)