教室を支配するもの

 リチャード・E・ニスベットの『木を見る西洋人・森を見る東洋人(THE GEOGRAPHY OF THOUGHT)』(ダイヤモンド社)によれば、「日本人も中国人も、一般に西洋人と比べて大きな社会的制約を受けている。中国人の場合には主として権威による制約であり、日本人の場合には仲間からの制約である。たとえば、中国の教室を支配するのは教師であるが、日本の教室を支配するのは同級生である(村本由起子訳)」。原文は、「Though social constraints are in general greater on both Chinese and Japanese than on Westerners, the constraints come primarily from authorities in the case of the Chinese and chiefly from peers in the case of the Japanese. Control in Chinese classroom , for example, is achieved by the teacher, but by classmates in Japan. 」
 統計的根拠なき比較文化論には慎重でありたいが、ここで指摘される事柄は、今の日本の学校現場の状況からは、可能性として大いにあり得ることである。「勉強嫌いな」あるいは「知的好奇心のかけらもない」同級生が「教室を支配」してしまう場合、ただ競争原理の導入だけでは、学校の教育力は向上しないだろう。
 自分たちが生徒だったころ、いかに教室の同級生の視線と評価に注意を払いながら学校生活を送っていたかを忘れて、教育行政やら日教組やらの力を過大評価して、現代の学校教育の問題を論じるのは滑稽であろう。

木を見る西洋人 森を見る東洋人思考の違いはいかにして生まれるか

木を見る西洋人 森を見る東洋人思考の違いはいかにして生まれるか

⦅写真(解像度20%)は、東京台東区下町商店街恒例の「江戸変化朝顔展」展示の一鉢。小川匡夫氏(全日写連)撮影。⦆