池内恵『イスラーム国の衝撃』を読む

 池内恵(さとし)東京大学准教授の『イスラーム国の衝撃』(文春新書)を読む。通奏低音として次の認識がある。
……二〇一四年の「イスラーム国」の台頭は、中東の国際秩序に衝撃を与えた。「アラブの春」による各国の政権の揺らぎが連鎖し派生して、中東の国際秩序に綻びが生じた結果として、「イスラーム国」の急激な伸張の影響で、中東秩序の溶解が加速した。新たな秩序の萌芽はどこに見出せるのか。……(p.206)
 国際関係論および比較政治学の対象領域として中東における国際秩序の溶解を解明することが、「イスラーム国」の勢力伸長の背景を理解するために必要になる。いっぽうでジハード主義をめぐるイスラーム思想史の基本知識も求められる。本書で、凡その鳥瞰が得られることになる。
イスラーム国」伸張の大きな要因は二つあるとしている。
◯思想的要因:ジハード主義の思想と運動の拡大・発展の結果、世界規模のグローバル・ジハードの運動が成立したこと。
◯政治的要因:「アラブの春」という地域的な政治変動を背景に、各国で中央政府が揺らぎ、地方統治の弛緩が進んだこと。
 米国による「対テロ戦争」によって、アル=カイーダの中枢組織と指導者たちは、行動の自由を失い、地下に潜って心理的な作戦や宣伝戦など限定的な活動を余儀なくさせられたが、共鳴する人員と組織は生き残り、新たな参加者を集め、グローバル・ジハード運動が、四つの要因により展開していったのである。
1)アル=カーイダ中枢がパキスタンに退避して追跡を逃れた。
2)アフガニスタンパキスタン国境にターリバーンが勢力範囲を確保した。
3)アル=カーイダ関連組織が各国で自律的に形成されていた。
4)先進国で「ローン・ウルフ(一匹狼)」型のテロが続発した。
 自律的にそれぞれの場での組織の目標を追求しているアル=カーイダ関連組織のグローバルな広がりは、「フランチャイズ化」と表現されることもある。「明確な組織や指揮命令系統によってつながるのではなく、理念やモデルを共有することによって協調・同調し、シンボルやロゴマークなどを流用することによって広がるゆるやかなネットワーク」を卓抜に表わしているのである。しかし「アラブの春」以降、アル=カーイダの「ブランド・イメージ」は陰りが見え、「別ブランド」あるいは「再ブランド化」の動きが出てきた。領域支配を行なう「国家」を強調し、「カリフ」という究極のシンボルを使用した「イスラーム国」は、アル=カーイダ系諸組織の「再ブランド化」の新しい試みであったといえる。
 「ローン・ウルフ」型のテロを主軸にすえたグローバル・ジハードの組織論を提唱した、シリア生まれのアブ・ムスアブ・アッ=スーリーも、内戦や政権崩壊によって「開放された戦線」が現われれば、世界各国のジハード戦士・予備軍がそこに結集し、大規模に組織化し武装化してジハードを行なっていくと想定していたが、その後の展開はまさにそれに沿うものとなった。イラクとシリアの国境をまたいだ空間こそ、「開放された戦線」の最たるものであったのである。
イスラーム国」の組織の変遷
1)タウヒードとジハード団(1999〜2004年10月):ヨルダン人のザルカーウィーによって創設された。アフガニスタンを拠点にテロを実行していたが、2002年6月にザルカーウィーはイラクに移った。「タウヒード」とは「唯一神信仰」の意味。
2)イラクのアル=カーイダ(2004年10月〜2006年1月):国際的に「アル=カーイダの関連組織」として認知され、知名度・影響力も上がった。
3)イラクムジャーヒディーン諮問評議会(2006年1月〜10月):ザルカーウィーが空爆により死亡。反米武装闘争で各勢力を調整するため、イラクのアル=カーイダが主導して他の五つの組織を加えて結成した連合組織。
4)イラクイスラーム国(2006年10月〜2013年4月):イラクムジャーヒディーン諮問評議会に参加した諸勢力が統合の度を深め、スンナ派の部族勢力の一部なども取り込んで「国家」を宣言した。イラク人の「バグダーディー」らが指導者となった。反米・反マーリキー政権の武装闘争を実行。なお「バグダーディー」呼称の指導者は二人いて、どちらもそのニスバ(由来名)に、ムハンマドと同族の血統を受け継いでいる意味の名称となっている。「カリフ制」の布石であったのかどうか。
5)イラクとシャームのイスラーム国(2013年4月〜2014年6月):ISIL=the Islamic State of Iraq and the Levant; ISIS=the Islamic State in Iraq and al-Sham;  「シャーム」とは、現在のシリア・レバノン・ヨルダン・パレスチナを含む広い範囲を指す歴史的な地理概念。「シャーム」にある程度重なる欧米語「レバント」も使われるが、欧米側の視点からのもので植民地主義的意味合いも感じられる場合がある。
6)イスラーム国(2014年10月〜):the Islamic State; 政体としては「カリフ制」を宣言している。欧米側では変わらず「ISIS」や「ISIL」と呼称している。
 イスラーム主義には、歴史的に「制度内改革派」と「制度外武闘派」の二種類の潮流があった。制度外部力闘争路線を採る諸勢力(過激派)は、近代の既存制度を、アッラーの示したイスラーム法(シャーリア)に基づかない非合法なものとして破壊し、7世紀の初期イスラーム時代の理念と制度を範型にしたカリフ制度を樹立することこそ、宗教的義務であり、歴史的必然であると主張する。いっぽう、「穏健派=制度内改革派」は、選挙や議会といった既存制度の枠内での政治参加を通じた漸進的な改革によって、イスラーム的な社会と統治の実現を図ろうとする潮流である。「アラブの春」の帰結として、イスラーム主義の穏健派が急激に台頭した上で失墜し、その政治的空白に過激派が台頭したのである。「制度外武装闘争派」は、「制度内改革派」に対し「タクフィール(背教者宣言)」を行ない、異教徒・背教徒の権力に対する、武力によるジハードを主張するため、「タクフィール主義者」「ジハード主義者」とも呼ばれる。
 ここで現代におけるイスラーム理解にとっても重要なことばの解説が入る。
◯ヌスラ:イスラーム教初期の戦闘における勝利のための「支援」を意味する。ムハンマド一行のメディナ移住(ヒジュラ)の際に、ムハンマドたちを支援してジハードを勝利に導いた者たちは非常に高い価値を与えられている。
◯ムハージルーン:ムハンマドに従ってヒジュラした人たちのこと。
◯アンサール:ムハージルーンを迎え入れてヌスラの手を差し伸べた人たちのこと。
 アサド政権打倒を目標とする、シリア人主体のヌスラ戦線と、イラク人主体でイラク政府打倒とスンナ派の支配的地位確立を目指す「イラクイスラーム国」は離れていくことになる。その後の「イスラーム国」とヌスラ戦線に共通するのは、「グローバル・ジハード運動が、個々の環境や紛争に適応して土着化し、地域に根を張る傾向」である。
 日本人の対イスラーム観について警鐘を鳴らしているところも、興味深く読める。
……「先鋭的」であることに存在意義を見出す論者は、しばしば「イスラーム」を理想化し、それを「アメリカ中心のグローバリズム」への正当な対抗勢力として、あるいは「西洋近代の限界」を超克するための代替肢として対置させる。「イスラーム」という語が、現代社会の解決不能な諸問題を、一言で解決する魔術的なパワーを秘めたものとして、テキストや現実の事象を踏まえずに用いられているのである。(略)要するに、日本において「イスラーム」は、「ラディカル」に現状超越を主張し、気に入らない社会やエスタブリッシュメント、そして体制そのものを勇ましく「全否定」してみせる「憑代(よりしろ)」として一部で受け入れられてきたのである。……(p.166)
「この親にしてこの子あり」の思いである。父君の著書(訳書)についてかつてブログで取りあげている。
 http://d.hatena.ne.jp/simmel20/20120917/1347858500(「あえて無力なカント平和論を読む:2012年9/17」)
 http://d.hatena.ne.jp/simmel20/20121229/1356784878(「池内紀訳・カフカ『審判』の舞台化:2012年12/29」)


イスラーム国の衝撃 (文春新書)

イスラーム国の衝撃 (文春新書)