仏教は有効か

 仏教思想史家末木文美士(すえき・ふみひこ)東京大学教授の『仏教vs.倫理』(ちくま新書)は、新書版ながら、仏教および日本人の精神と思想について深く考えさせられる。仏教の思想的有効性について論じようとするとき、ここがベースキャンプとなろうか。
 末木教授は、「借り物の思想ではなく、自分が受けてきた伝統から発想したいという」自負をもって、日本思想史の構築を試み、その成果を踏まえてこれからの課題を考察している。ここで「倫理」とは、和辻哲郎倫理学のいう「間柄としての人間」の間にはたらくルールのことを意味している。現実の生活でわれわれが引き受けなければならない関係において、「倫理」を考えている。決してそれは一挙に普遍的倫理になど〈高まる〉ことはありえない、あくまでも思想史的条件に制約されて現実の生活および関係に秩序をもたらすものである。しかし人間の生活および関係は、生者だけで成立しているのではなく、実は他者としての死者もその影響関係のなかにあるのである。近代のヒューマニズムや合理主義は、生者のみの世界しか視野に入っていない。それは人間精神の内なる他者である「魔的なもの」の制御に成功せず、ついにはアウシュヴィッツヒロシマナガサキの惨禍をもたらしてしまった。
 いまこそ、他者との対話あるいはその存在の自覚に思いをいたすべきであり、とくに他者のなかの他者である死者について向き合わなければならない。日本の仏教は、これまで葬式仏教との非難を浴びせられ、たしかに固定化された葬祭儀礼に自らの役割を限定してきた限りではその批判は免れないにしても、その伝統自体は否定するべきではなく、死者との対話という「超・倫理」の方向で見直すべきである。末木教授の議論の論旨をまとめればそういうことである。
『もちろんそれは、死後も生前と同じような生存がある、という単純な死後存続説をとるということではない。たとえば、極楽浄土が西方十万億度にあり、死んだらそこに行くとか、死んだら神に召されて、天国で永遠の幸福を享受するとかいう死後観を、そのまま単純に信ずることができれば、それが悪いというわけではない。しかし、たとえそのように信じる人でも、親しい人の死は、やはり無限の不在感として圧倒されるのであり、それは理屈ではない。理屈から出発するより前に、避けようのない感覚的事実から出発すべきだというのである。
 死者との関わりは、どうしても生者との関わりと違っている。生者と同じようなコミュニケーションは成り立たない。「人の間」のコミュニケーションの不可能なところで死者と関わるのであり、それは理屈でもないし、特定の信仰の立場でもない事実である。』
 なぜ仏教なのか? 末木教授は『法華経』を取り上げている。第二類「見宝塔品(けんほうとうほん)」において、釈尊は、はるかな過去(東方無量千万億阿僧祇)に亡くなっている多宝如来の宝塔に多宝如来と並んで坐り(二宝並座)、死者と一体となることによって力を得た、という話がある。つまり仏教思想において死者を受け入れるという「超・倫理」が成立しているのである。
 古代日本の宗教の特徴をアニミズムとして捉えることは判断留保すべきで、「山川草木すべてが神(仏)であるというような見方は、むしろ仏教が入ってきてから、草木成仏説や密教理論などのもとに成立したものではないか」と考えられるとのことである。また柳田国男のいう先祖崇拝も、実は「葬式仏教によって形成されたところが大きい」ということにも注意すべきであろう。仏教と神道との関連が問われるところであるが、いまさら神仏習合の思想を展開するのではなく、これまでの神仏補完の歴史を踏まえて両者の対話を進めることが必要である。徳川家康のような権力者でもなく、菅原道真のような恨みを残して死んだ人物でもない、無名の多くの死者たちを無差別に祀った靖国神社のあり方などにヒントがあると教授は指摘している。しかしやはり中国・韓国(あえてアジアとはいうまい)の視線を無視して靖国は語るべきでないと、私的な感想をもつ。
 「日本仏教の立場から、死者との共存を取り戻し、新しい哲学を展開できる可能性」に賭ける末木氏の、次のような見識をこれからは自明の前提としなければならないだろう。
『日本の哲学者といわれる人たちも、多くは欧米のまねをするだけで、ハイデガーに倣って存在忘却とかニヒリズムとか口にするが、はたしてどれだけ本当に日本の実情を踏まえて哲学しているのか疑問である。存在忘却よりも死者忘却のほうが、よほど深刻な問題である。猿マネではなく、日本の伝統を足場にして、それを理論化してゆくことができなければならない。』

仏教vs.倫理 (ちくま新書)

仏教vs.倫理 (ちくま新書)

日本仏教史―思想史としてのアプローチ (新潮文庫)

日本仏教史―思想史としてのアプローチ (新潮文庫)

⦅写真(解像度20%)は、東京台東区下町民家のカトレア(Cattleya Old Whity Mount Empress)。小川匡夫氏(全日写連)撮影。⦆