『資本論』の舞台化


 経済学者の池田信夫氏は、『資本論』のマルクスについて「ライブドアブログ」で述べている。
『スミスが明るくうたい上げた分業や市民社会の影の面を、マルクスはきわめて深いレベルで見ていた。貨幣は私的な分業によって分裂した近代社会の抱える根源的な不安を覆い隠す「イチジクの葉」であり、金融工学がいくら高度に発達してもそれを克服することはできない。だからバブルも金融危機も、また起こるだろう。それは資本主義の不治の病なのだ。』
 http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51668002.html(「池田信夫ブログ」)

 09年の2/28に観劇した『カール・マルクス資本論、第一巻』の舞台を思い出す。ドイツ・ギーセン大学="Justus-Liebig-Universität Gießen" (ユストゥス=リービッヒ大学ギーセン校)応用演劇学科で出会った3人、ヘルガルド・ハウグ、ダニエル・ヴェツェル、シュテファン・ケーギのユニット=リミニ・プロトコル(Rimini Protokoll)の演出になる演劇である。HP記載の観劇記を再録するが、記録以上の価値がない感じもする。
◆如月28日(土)東京「にしすがも創造舎」にて、ヘルガルド・ハウグ、ダニエル・ヴェツェルほか1名で構成される、アートプロジェクト・ユニット「Rimini Protokoll」の公演『カールマルクス資本論、第一巻』を観劇した。

 素人を俳優として舞台に乗せた、ドキュメンタリー演劇の企画・公演で、ヨーロッパでいまや「爆発的人気を誇っている」のだそうだ。日本公演にあたっても、『資本論』研究家の元大学教授で国際マル・エン財団編集委員(大谷禎之介)、マルクス研究の現役一橋大学院生(佐々木隆治)、政治学修士号を取得しかつてマールブルク大学での留学経験もある盲人の会社員(脇水哲郎)、ドイツ演劇が専門の明治大学講師(萩原健)の4人が招集されている。この舞台にふさわしい人選だ。
 NHKも録画収録に来ていたので、けっこう注目度は高いようだ。客席最前列に、マットのみの臨時補助席まで設えられ、始まる前は熱気が感じられた。世界金融危機によって、マルクスの資本主義論をもう一度復習したいとの知的渇望があるのだろう。こちらは、あくまでもドキュメンタリー手法の話題の舞台に大いなる関心があった。
 登場人物12人の(厳密には11人の)、戦後から現代ヘの世界の推移とともに歩まれたそれぞれの人生が語られ、貨幣および商品との関わり、そしてみずから労働力商品としての職業生活があぶり出されてくる、といった展開。最後まで劇的昂揚はなく、ブレヒトの「異化効果」のみが貫かれている印象であった。しかし幕間なしの2時間、それほど長くも感じられなかったところから、案外惹きつけるものがあったのかもしれない。
 驚いたことに、観客一人一人に大月書店版国民文庫資本論』(岡崎次郎訳)が配布され、大谷禎之介氏の読解が入ることだ。朗読される箇所にはちゃんとマーカーで線が引かれてあった。資本主義下では、恐慌は不可避であること、労働力も商品化されること、常に相対的過剰労働者人口が生産されることなどが強調された。
 しかし現代の金融恐慌は、かつての宇野学派の恐慌論を含め、従来の経済学理論では十全な説明ができないようだ。佐藤優氏との対談で、副島隆彦氏が述べている。

副島:このデリバティブ市場の現在の総本山が、シカゴ・マーカンタイル取引所(CME)であり、そこを率いるレオ・メラメッドというフリードマンの弟子が、巨大な世界的金融バブル活動の胴元です。
 これらの先物市場では、「想定元本」とか「予想収益率」「期待利益率」などといったもので取引します。しかし、それらは実需を伴わないまったく仮想の数字(巨額の金額)でできています。デリバティブの取引はたとえて言えば、全速力で後ろ向きに走っているようなものだ。過ぎ去っていく後方の景色はきれいに見える。それらはすべてうまく説明できます。ところが、これから何が起こるかは本当はわからない。それが「想定元本」と「期待利益率」です。(『暴走する国家・恐慌化する世界』日本文芸社

 サシャ・ワルネッケというドイツ共産主義者党員の青年が「捕鯨反対!」などと、シュピレヒコールを叫ぶのには閉口した。ちょうど2日前に、浅草の「勇新」で竜田揚げ・鯨の刺身の定食をいただいたばかりだったからだ。菜食主義ならいざ知らず、日本の鯨料理に文句をつけてほしくないものだ。
 大いに共感できた(?)のが、競馬で身を持ち崩してしまったというラルフ・ワルンホイツという人物。ドストエフスキーの作品に出てきそうな「賭博者」。笑ってしまった。(09年3/6記)

 いまならこの「捕鯨反対!」のシュピレヒコールは、「No Nukes!」になるのであろうか。EUの勝ち組にして、「脱原発」のドイツを、美しく知性・体力ともに傑出した国と称揚するひともいるようだが、ドイツもあたりまえながら自分らの国益で動く国家であり、これからの経済の動向次第でどう変わるか、わからないのである。